なぜ、世界チャンピオンを目指していたプロボクサーの息子が自殺したのか? 高校の数学教諭でもありプロボクサーだった武藤通隆さんは16年4月、自宅近くで飛び降り、命を絶った。当時、28歳だった。

自殺の2カ月前、一時的に精神的混乱に陥って精神科を受診、統合失調症と診断された。男手ひとつで育てた自慢の息子の死に父親(57)には忘れることができない言葉がある。退院するときに医師が「薬を飲ませていれば大丈夫…」。

鋭い視点で斬り込むMBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像’18」は「あるプロボクサーの死~精神医療を問う父の闘い」を25日深夜0時50分(関西ローカル)から放送する。番組を通じて、精神医療に伴ういくつかの問題点が浮き彫りになっていく。

武藤さんは大阪教育大を卒業後、高校の数学の非常勤講師として勤務し、25歳のときプロテストに合格。フライ級の西日本新人王決勝にも進出した。その後、勝てばプロとしてステップアップできる元日本ランカーとの試合に敗れ、挫折を味わった。

再び始動し、試合を控えた16年2月4日夜、練習を終えて帰宅した武藤さん。父によると「その夜に『記憶がない。覚えていない』と言い出した」。翌日に脳の検査をしたが、異常はなかった。さらに精密検査をしたが、異常はなく、記憶がないと訴えた3日後には「繰り返し手を反復するなどおかしな行動をするようになった」。精神科病院で診察を受け、統合失調症の疑いで入院した。わずか5日間の急変だった。

3カ月の予定で入院。投薬治療が行われた。約2週間後、主治医は症状が安定したとして退院を決めた。

ところが退院前夜に武藤さんは興奮状態となり、保護室で身体を拘束され、入院時と同じ強い向精神薬を注射された。

その様子を見ていた家族は退院に不安を感じたが、主治医の「予定通り退院」の指示に従って自宅療養を開始。しかし、病状は入院前より悪化しているようにしか見えなかった。父はできる限りの看病を続けた。「薬を飲ませていれば良くなる」。父はそう信じていたという。

武藤さんに処方されていたのは、ロナセン錠(一般名ブロナンセリン)という統合失調症に効果がある非定型抗精神病薬だった。添付文書には慎重投与の対象として「自殺念慮を有する患者の症状を悪化するおそれがある」と記載されていた。ところが退院後、ロナセン錠は増量処方されていた。

武藤さんは再入院を希望したが、主治医から「経営上の理由から退院後3カ月は再入院できない」と言われた。その後、「薬を規則正しく飲み続ければ大丈夫」との主治医の指示通り、向精神薬を飲み続けたが、その顔にはどんどん覇気が無くなり、2016年4月、自ら命を絶った。初受診から2カ月後のことだった。

番組では病院の利益につながる診療報酬の問題もあぶり出す。父は治療に問題があったのではないかとの疑問がある。「様子を見ながら薬を投与しながら安定の状態に持っていくということだった。退院直前にかなりの不安定な状態になった。退院した後もずっと不安定な状態が続いていた。入院を続けていればこんなことになっていなかったと思う」。

番組では患者の「心」をしっかり診察する精神科医にもインタビューする。

和田浩ディレクター(45)は「さまざまな背景があるが、精神科医療を少しでも考えるきっかけになればと思います」と話した。