1966年に静岡県で一家4人が殺害された強盗殺人事件で死刑確定後、14年の静岡地裁の再審開始決定で釈放されたものの、6月に東京高裁から再審開始を認めない決定を受けた、元プロボクサー袴田巌さん(82)を支援する集会「袴田さん再収監を許さない」の会見が12日、都内の衆院第一議員会館で行われた。

弁護団の角替清美弁護士は、検察側が袴田さんの再収監を認めるよう最高裁に強く求めていることを明らかにした。その上で「裁判所が1度、冤罪(えんざい)被害者と認めた人が死刑囚になり、絞首刑に遭うという前代未聞の事態になる。司法の機能不全を許すわけにはいかない。(再審開始決定は)3人の裁判官が決定した。死刑に戻したのも3人の裁判官。3人が動けば、ことは変わる。最高裁は5人の裁判官で出来ている。手紙の1通が、死刑台から救う可能性がある」と草の根の支援活動を呼び掛けた。

会見では、10月に撮影された袴田さんの映像も公開された。袴田さんは地元の浜松で日々、支援者のサポートを受けて生活しており、市内を散歩し、好物の甘いものを毎日のように購入しているという。街中で制服を着た警察官、ガードマン、デパートの店員などにあいさつしたりもするが、最近は「行かない」などと言い、以前より出歩く機会も減ってきたという。一方で、浜松市街に出掛けることを希望するという。

姉の秀子さん(85)は「前みたいに『ローマへ行く』とは言わなくなった。7、8月ごろに『清水に行く』といい、その後は『東京に行く』と必ず言います。11月10日に東京に行くと言って出かけました。東京大神宮と靖国神社にお参りしました。この頃は東京というと日帰りで行き、納得しておとなしくしています。月に1回くらいは浜松以外に行きたいように思う」と語った。会話の中心は、ボクシングだというが、秀子さんは「それだけ(以前のように)戻ってきたと思うが4、5年では拘禁症は治らない。とんちんかんちんの、向こうの世界のことを言う」と、48年にも及んだ獄中生活の影響で、袴田さんが現在も自らの妄想の世界の中にいることを強調した。

袴田さんは80年に死刑が確定したが、14年3月27日の第2次再審請求審で、静岡地裁(村山浩昭裁判長)はDNA型鑑定で一致しなかった衣服の血痕、サイズの合わないズボンなど、証拠捏造(ねつぞう)の疑いまで指摘。再審開始を認める決定を下し死刑執行が停止、釈放された。

ただ、検察側が即時抗告し、東京高裁(大島隆明裁判長)は6月11日に、地裁が認めた死刑と勾留の執行停止は「年齢や健康状態などに照らすと取り消すのは相当ではない」として静岡地裁の決定を取り消し、再審開始を認めない決定をした。地裁決定はDNA型鑑定を根拠に、袴田さんのものではないとしたが、高裁は「鑑定手法は科学的原理や有用性に深刻な疑問がある」と指摘した。

1968年(昭43)の1審で死刑判決が出てから今年は50年目、そしてこの日は最高裁で死刑判決が確定(判決訂正申立棄却)した日だった。秀子さんは「第1審の時、巌のところに行って『やれることはやる』と宣言しました。50年、やってきました。100年に向かって戦っていきます」と覚悟を口にした。【村上幸将】