京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオで34人が死亡した放火殺人事件は25日、発生から1週間を迎えた。「京都アニメーション」社員の津田幸恵さん(41)の父、伸一さん(69=兵庫県加古川市)が25日、取材に応じ、この日、京都府警から説明を受けた幸恵さんの最期の様子を明かした。「唯一の救いは…」と言葉を詰まらせた。同府警は25日までに、DNA型鑑定で犠牲者34人全ての身元を特定。一部の遺族には既に連絡を始めているという。

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伸一さんは25日、遺体安置所になっている京都市伏見区の警察学校に出向いた。京都府警の担当者から幸恵さんの司法解剖の結果と、死に至った状況の説明を受けた。

検案書に記載されていた死因は「焼死」。伸一さんは「焼死ですけど、まず煙がきて酸欠で倒れ、あっという間に意識はなくなっていたと。そのあとで、焼けたという話を聞いた。唯一の救いは…。焼けて苦しむということがなかったことです」。時折、ハンカチであふれる涙をぬぐい、言葉をしぼり出した。

最期の様子も明かした。らせん階段近くの2階の作業机にいた幸恵さんは、火災と同時に窓際に逃げたとみられ「幸恵も含めて、窓際には遺体が折り重ねるように何体もあったと」。兵庫県加古川市の伸一さんの自宅。警察から聞いた当時の状況を説明するために、伸一さんは紙にシャープペンシルで図を描いた。

持つ手は震えた。それでも紙に書いた、らせん階段の○印を指し「ここからあの噴煙がぶわっと回ってきた。一瞬のうちやったんやな。でも、幸恵は愛用のバッグは肩にかけて逃げていた。バッグを肩にかけるまでは意識はあった。窓際まではちょっとの距離…。苦しかったと思う」。

検案書が完成しておらず、この日は幸恵さんと対面はできなかった。遺留品としてバッグなどを受け取った。銀行の通帳、化粧品、財布などが入っていた。財布には2000円札が2枚、1000円札が48枚もあった。消火活動でぬれた1000円札を手にとった伸一さんは「どこかに遊びに行く予定でもあったのかな…」と唇をかみしめた。

幸恵さんは子どもの頃から絵を描くのが大好きだった。約20年前にアニメの専門学校を卒業し、同社に就職すると彩色一筋。カラーコーディネーターの資格を持ち「名探偵コナン」や「クレヨンしんちゃん」といった国民的作品の作業にも携わった。

「こつこつと自分の決めた道をマイペースで進んでいく子だった」。覚悟はしていたが、言葉にならない悲しみと憤りが広がる。青葉容疑者に対して「犯人の青葉なんて、どうでもええ。いまは1日でも早く幸恵を戻してやりたい」。【松浦隆司】