友達って何だろう。愛とか正義とかって何だろう。新型コロナウイルスの感染拡大で、学校が休みの今、考えてみよう。「14歳からの社会学」など青少年に向けた著書がある、社会学者の宮台真司さん(61)に聞いた。【取材・構成=秋山惣一郎】

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僕は、父親の仕事で6回も転校しています。行った先々で生きていけたのは、友達のおかげでした。やくざの息子だったガキ大将が守ってくれたこともある。女子がかばってくれたこともある。転校生は心細かろうから優しく接しよう、という気持ちが、子供心にもあったのだと思います。

だから、転校のたびにそうした級友と別れるのはつらかった。中学以降は、彼らに受けた恩を返せていない、という気持ちを抱くようになりました。

東大を出て研究者の道に進んだ僕は、90年代に女子高生の援助交際問題の研究や、暴力団対策法に反対する活動をしましたが、小学校のときに女子ややくざの子から受けた恩を返したい、という意識がありました。誰かに勝ちたい、負けたくないという気持ちが何かの動機になることも多いけど、誰かのために、という気持ちもまた、人を動かすのです。

小6の秋に京都から東京に転校して、中学は私立男子校の麻布中学に進みました。麻布中は当時、学園紛争のまっただ中。理事長や教師らと戦う中で、仲間だと信じていたヤツに平気で裏切られたり、軽く見ていた連中が、意外な友達思いで自己犠牲的だったりする姿を見ました。自分もかくありたいと思う人を、友達にするようになった。麻布には、遊びも勉強もできる者がいちばん偉く、次に遊びだけ達者な者が偉く、勉強しかできない者はさらにその下だと見る文化がありました。他の進学校に行ってたら、勉強の出来不出来で人を見て、他人の成功に嫉妬する浅ましい人間になっていたかもしれません。

こうした経験から、僕が少年期に学んだのは、人は愛と正しさに生きなければならない、ということです。でも昨今は、若い人ほど、愛や正しさより、損得で動く人が圧倒的に多いと感じています。

最初に気づいたのは、90年代半ばです。援交女子高生から聴き取りしていたら、96年ごろから、「親友」と呼びあう相手に援交している事実を打ち明けなくなったんです。いわく「どう思われるかを一番気にする相手が親友だと思います」と。そんなの親友じゃない。単なる知り合いでしかありません。

2000年代に入って「キャラを演じる」という言葉が出てきました。仲間内でも、空気を読み、場にふさわしいキャラクターを自ら演じるようになる。どう振る舞えば得するか、という思考ですね。また、恋愛を「コスパが悪い」と言う若い人も増えた。心から友や恋人を愛し、愛されることを知らず、損得勘定だけで生きる者は、ひとり寂しく死ぬしかありません。

新型コロナウイルスの問題が長引いていますね。この問題から、愛と正しさについて考えてみます。

政府や自治体の営業自粛要請に従わないパチンコ店をバッシングする「自粛警察」と称される人たちがいます。マスコミは「過剰な正義感」などと言いますが、見当違いも甚だしい。彼らは、お上に依存するだけで自ら考えず、常にまわりを見て同じ行動を取らないと不安になる人たちです。自らの判断で動く人を見ると、自分が否定されたと思って逆上する。正義感というより、神経症です。

そもそも、補償も融資もない以上、自粛要請に従う必要はない。憲法が生存権を保障するからです。それでも従えというのは、法的にも道義的にも無理がある。正義を求めるなら「休業要請には補償、融資を」と政府や自治体に迫るべきです。自粛で生活に困る事業者や勤労者の痛みに寄り添うなら、要請に従わない者をたたくなんてありえません。感染対策をした上で、生活費のために仕事をするか否かは、各人の判断であるべきです。「自粛警察」は、他人の痛みを知ろうとせず、お上に依存し、周囲に同調して噴き上がっているだけの、クズです。

正義とは、法律に書いてあるから、みんなが言っているから、ではありません。困っている人を法を破ってでも助けることも、正義でありえます。法を破って助けるか、法を守って見捨てるか。真っ白な正義などありません。戦争や死刑執行の場では、人を殺すことさえ正義だとされます。正しさは、時代や状況で変化するもの。だから、自分で考えるべきなのです。

人は、遺伝子的に、他人を思いやる心を持ちます。昨今、この能力がフタで覆われています。僕はフタを外すために、大学の内外でさまざまな活動をしています。それについては、機会を改めてお話しします。

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僕が日本社会のある変化に気づいたのは、1992年(平4)のこと。

当時の僕は、社会学の研究者として、女子高生の援助交際、いわゆる「援交」を調査をしていました。援交の多くは売春ですが、かつては、不幸な生い立ちとか経済的な苦境とか、女性の背景にある苦難の物語を人々は読み取ったものです。ところが、それが変わった。援交についての語り口は、その子の生い立ちの「物語」に向かず、制服にルーズソックスという女子高生の「記号」だけに向かうようになりました。いわば「表層化」です。

同じ92年のカラオケボックスのブームにも、「表層化」を見てとれます。「歌えば拍手」の盛り上がりが求められ、楽曲の味わいにひとり耽(ふけ)る営みが格好悪いものとされるようになりました。音楽が戲れの社交ツールに変わったのです。成人向け雑誌が文字主体からグラビア主体に変わったのも、同じころです。文章を通じて、心の中に世界を構築して性的興奮を得ていたのが、グラビアやイラストの直接的な刺激に興奮するようになったのです。売春を通じて「物語」に耽ったり、音楽や文字を通じて「世界」に耽ったりする営みが、「過剰なもの」だと受け止められ、表面的な戲れが専らになりました。

ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンに、「アウラの喪失」という有名な概念があります。アウラは、俗に言う「オーラ」です。例えば、彫刻を鑑賞する。でも見ているのは彫刻自体ではない。彫刻を通じて現れる「何か」を見ている。アウラの概念は、神が何かを通じて現れるという「神性降臨」に由来します。絵画や写真を含めたあらゆる芸術作品はただの通路で、その向こう側に「この世ならぬもの」を見ているのだ、ということです。ベンヤミンは、複製技術の発達で作品に宿る「アウラが喪失する」ことを嘆きました。

最初はモノ中心だった「アウラの喪失」ですが、人間関係にまで広がったのが96年でした。気づいたのは、援交する女子高生にインタビューしていた時のことです。96年以前は、援交している子たちが、それを互いに打ち明けた上で、広く情報交換していました。いい思いをしたこと、危険な目にあったことなど、体験や情報を共有したのです。それが、96年秋以降、互いに「親友」だと思っているのに情報は交換しないという風になった。不思議に思った僕が「それは親友とは言わないけど」と聞くと、「親友だから悪く思われたくないんですよ」と。深いところに立ち入らない、表面だけの人間関係が始まったのです。

なぜ90年代に、こういう子供たちが増えたのか。僕なりに考えてみました。

高度成長期、都市近郊の開発が進み、郊外のコミュニティーに新住民が押し寄せます。地域に誰が住んでいるのか分からなくなって、地域社会の共同体が消えていきます。「郊外の空洞化」と言います。

それをよく表しているのが、1977年に三重県で起きた隣人訴訟です。新興住宅地に住む家族が、子供を隣人に預けて買い物に行ったところが、隣人が目を離したスキに子供がため池に入って死んだので、子を預けた親が、隣人と国と自治体を相手取って損害賠償を求めて提訴したのです。近所づきあいの法的責任を争う訴訟は、大きな議論を巻き起こし、原告、被告ともに世論のバッシングを受けました。

信頼で結ばれた地域共同体が空洞化し、表面的な付き合いになる。隣人への思いやりは消え、自分の損得にばかりめざとくなる。90年代の中高生は、そんな親を見て育った。彼らは今、40代になって子供を育てている。特に今は、親が子供を囲い込む傾向が強いので、親の思考が子に伝染しないか、心配です。

そこで、僕は「ウンコのおじさん」プロジェクトを始めました。小学校の通学路で道や電柱にうんこを描く。鼻くそを飛ばしてみせることもある。子供たちは大喜びでまねします。眉をひそめる大人もいるが、気にしない。昔は、近所や親戚に「変なおじさん」がいて、ろくでもないことを教えたものです。今は僕が、うんこを描き、鼻くそを飛ばして、閉じた親子関係に雑音を入れてやる。子供を囲いこもうとしてもどうにもならない現実を、親に突きつけ、子供には、親が教える正しさの外に大きな世界が広がっていることを見せる。言葉の外・法の外・損得の外で、人がシンクロできることを、体験によって学んでもらうのです。

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◆宮台真司(みやだい・しんじ) 1959年(昭34)、仙台市生まれ。東京都立大学教授。専門は社会学、映画批評家の顔も持つ。90年代、援助交際やオウム真理教事件に関する論考で注目を集める。さまざまなメディアを通じて、政治や社会に対する批評を続ける。著書に「14歳からの社会学」「子育て指南書 ウンコのおじさん」など。近著に「音楽が聴けなくなる日」(共著)。