大翔鳳昌巳親方 膵臓(すいぞう)がんのため死去
大相撲の元小結で準年寄の大翔鳳昌巳(だいしょうほう・まさみ)親方が4日午前10時47分、膵臓(すいぞう)がんのため東京・新宿区内の病院で死去した。32歳だった。今年4月に膵臓に異常が見つかり、東十両10枚目だった5月の夏場所(全休)を最後に引退した。10月には日大相撲部同期の舞の海(31)らが発起人になって断髪式が行われ、病気を治して後進を指導すると誓っていた。故郷北海道で行われる葬儀・告別式の日程は未定。(写真=1999年10月3日、断髪式を行った大翔鳳親方。「涙は今日で最後。病気を治します。これからは笑顔でやっていきたい」と病魔に打ち勝ち、親方として第2の人生を歩む決意を述べた。後方は立浪親方)
涙の断髪式からわずか62日膵臓がんに勝つと誓った涙の断髪式からわずか2カ月で、大翔鳳親方が亡くなった。まくら元にがんに関する本をそろえ、病院で闘病を続けていた。体重が現役時代の142キロから90キロ近くまで落ちながらも元気だったが、3日から容体が急変。治療のかいもなく4日午前10時47分、両親、師匠の立浪親方(31=元小結旭豊)らに見守られながら、静かに息を引き取った。「いくら立派な体でも病気には勝てなかった。一緒に戦った者として、いたたまれない」と現役時代に対戦したこともある立浪親方は肩を落とした。 日大相撲部から立浪部屋に入門し、1990年(平成2年)初場所、幕下付け出しで初土俵。91年名古屋場所で新入幕、93年初場所で自己最高の小結に昇進した。突き、押しを武器に2度の敢闘賞を獲得。97年初場所で左上腕をケガして十両に落ちた。再入幕を目指していた今年4月末、体調不良で検査を受けたところ膵臓がんが見つかった。 5月の夏場所を最後に現役を退き、日本相撲協会に2年間残れる準年寄となった。10月3日の断髪式には、気力を振り絞って病院から会場に向かった。「1日も早く治して後進の指導に当たるため、涙は今日まで。これからは笑顔でやっていきたい」。がんに勝つことを誓っていた。 「まじめで礼儀正しかった」と先代立浪親方(65=元関脇羽黒山)は故人をしのんだ。後輩の面倒見もよく、報道陣に対しても誠実に対応する態度は評判だった。断髪式で受け取ったご祝儀で、故郷北海道に住む両親に家を建ててあげたいと生前に話すほどの孝行息子でもあった。 葬儀の日程は未定だが、今日5日に故郷札幌に帰る。最後まで「帰りたい」と話していた故人の意思が尊重された。生まれ故郷の北の大地に最後のお別れをした後、東京で立浪・伊勢ケ浜連合による一門葬が予定されている。
元阪神有倉さん、言葉つまらせる大翔鳳親方の北海高時代の同期で、元阪神の有倉雅史さん(32)は「先週お見舞いに行ったばかりだったんですが」と言葉を詰まらせた。野球部のエースだった当時「冬場になると体力強化のために、相撲部に行って、彼にまた割りを教わりましたね」(有倉さん)。自身は日本ハム、ダイエー、阪神と3球団を渡り歩き、昨年いっぱいで9年間のプロ生活を終えた。ダイエーから阪神入りの際はテスト入団で「苦しい時に同じプロの世界にいた彼の存在は励みになった」と故人をしのんだ。
存在感あった断髪式で乾杯の音頭を取った北海高時代の恩師・杉本和紀校長(56) びっくりしました。あの断髪式で握手したのが最後になりましたが、私の心の中では病気に打ち勝つ確率は低いかなと思いました。彼の存在感は言葉に尽くすことができません。
残念でならない輪島大士氏(学生援護会アメリカンフットボール部監督) 残念でならない。日大の後輩で、人づてに病気のことも聞いていた。まだ若いし、相撲も取れたのに。本当に残念。
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