池田貴族さん、がんに死す
3年前からがんと闘っていたロック歌手の池田貴族(いけだ・きぞく=本名池田貴=たかし)さんが25日午前3時35分、肝細胞がんのため、名古屋市内の病院で死去した。36歳だった。1996年(平8)11月に肝細胞がんを告白後、4度の手術を受ける一方、がん遺児のためのチャリティーコンサートを開くなど、常に前向きの姿勢が多くの人々の共感を呼んだ。病床で2000年のライブに意欲を見せていたが、病魔を克服できなかった。(写真=長女の美夕ちゃんと)
36歳肝細胞がん3年間のがんとの闘いは、静かに終わった。クリスマスイブの24日夜から25日未明にかけて、呼吸が徐々に弱くなっていった。妻一美さん(25)長女の美夕ちゃん(1)や両親らが見守る中で、池田さんは息を引き取った。呼吸停止は午前3時35分だった。池田さんは11月24日に実家に近い名古屋市内の病院に再入院した。今月23日午後9時に薬を服用した際は、意識もあり家族と言葉も交わしていた。24日午前6時30分ごろに1度目を覚ましたが、再び眠りについた後は、2度とまぶたを開くことはなかった。 最初のがん発見は96年10月だった。母親の勧めで検査を受け、肝細胞がんが見つかった。同11月に肝臓の4分の1を切除する手術を受け、一美さんと入籍した直後の97年8月にはがんが再発。2度目の手術を受けた。当時は「再発が早くてショックでした」と語っていたが、98年2月に誕生した美夕ちゃんの存在が支えとなった。 手術、抗がん剤治療を繰り返し受けながら、長女の名前から取ったアルバム「Miyou」を今年4月に完成させた。5月には「大生前葬」と題したライブを地元名古屋で行い、収益金をがん遺児のための基金に寄付した。同月に東京・日比谷公園で行われた「あしながウォーク10」に参加し、がん遺児救済を呼び掛けた。「死刑を宣告された僕でも、ギリギリまでミュージシャンとして伝えられることがある。まだ死ねない」と話した。 7月に受けた検査で、肝臓には約70個のがん細胞が見つかった。10月に写真集「生(ライブ)〜池田貴族ライブ写真集〜」の発売記念サイン会に出席した際には「肝臓のがん細胞は70個に増えてました。完全な末期がん患者になりました」と終始穏やかな表情で話した。 25日夜、名古屋の自宅には親族らが集まり仮通夜が営まれた。マネジャーの高梨彩さん(24)によると、池田さんは今月22日、入院先の病床で「必ず復活するから。来年5月ごろに名古屋でライブがやりたい」と笑顔で話したという。高梨さんは「(池田は)自分が生きてきた足跡を残そうと懸命でした」と悲しみをこらえ話していた。
生き抜いた最後の3年悼む 池田さんと最後に会ったのは10月28日。プロ野球中日対ダイエーの日本シリーズ第5戦の日だった。大の中日ファンで、チケットを1枚余分に持っていた池田さんに誘われ、ナゴヤドームで並んで観戦した。試合前、応援を心待ちにしていた池田さんが、がん治療を打ち切ったことを初めて明かした。「また肝臓のがんが増えたんです。がんと闘うことはやめました。がんと闘ってもね、治療にはならないんです。妻とも相談して決めました」。グラウンドを見つめる池田さんの横顔に後悔はなかった。闘病生活約3年。がん発覚前は、連載などの関係で本紙文化社会部の忘年会にも顔を出し、朝方まで大好きな酒を飲んでいた。霊感ミュージシャンらしく「君の肩に霊が見える」と指摘された記者もいた。気さくな池田さんだったが、確実に体はむしばまれていった。抗がん剤治療で顔面がクレーターのようににきびだらけになった。手術前は100回単位でできた腹筋、腕立て伏せが1回もできなくなった。 しかし、池田さんは1つ1つ人生の目標を掲げることで自分自身に生きる喜びを見いだそうとしていた。「生」への強い意志が池田さんにとって最高のがん治療だった。2度目の手術直前の1997年(平成9年)、一美さんと入籍した。「子供の顔が見たい」と願い、98年2月、愛娘美夕ちゃんが誕生した。そして「肝臓にがんが転移して2年以上生きたケースはほとんどない。記録をつくりたい」と誓った。99年の目標は「初ライブをやりたい」だった。 池田さんはすべての目標を実現させた。がんの進行とともに、池田さんの笑顔が増えていった。「がんになったからって普通の人間と変わらないんですよ」と話した。 日本シリーズ第5戦、貴重なチケットに「こんな大事なものをもらっていいんですか?」と言うと、「大崎さんだって、これが見られるのは最後かもしれないですよ。今できることは今やった方がいいですよ」と笑顔でアドバイスされたことを忘れない。亡くなりはしたが、最後の3年間は池田さん自身にとって最も充実した人生だったに違いない。【音楽担当大崎公一郎】
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