訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

成田きんさん、心不全のため死去

成田きんさん  国民的存在の長寿双子姉妹「きんさん・ぎんさん」の姉の成田(なりた)きんさんが23日午前11時3分、心不全のため名古屋市南区鶴里町2の31の自宅で死去した。107歳だった。数日前から風邪をこじらせ、この日朝「(食事は)まだええ。もう少し寝る」と答えたのが最後の言葉だった。100歳を機に妹の蟹江ぎんさん(107)とともに全国に紹介され、愛くるしい笑顔が人気を集めた。21世紀まであと1年、19、20と3世紀を生き抜く偉業を目の前に天国に旅立った。きょう24日、ぎんさんがきんさんと対面する。
(写真=愛くるしい笑顔で人気を集めたきんさん)

▼1892年(明治25年)
 日本では、2月に第2回衆議院総選挙、明治天皇、皇后の銀婚式典が行われた。8月には第2次伊藤博文内閣が発足、板垣退助が内務大臣を務めた。芥川竜之介が誕生した。世界ではロシアが前年からシベリア鉄道を建設中。米国、英国、フランス、ドイツなどはアジア、アフリカに進出、領土を拡張しつつあった。翌年、エジソンが活動写真を発明した。

「お疲れさま」

 気負いのない言葉やさりげないユーモアで、双子の妹のぎんさんとともに全国の人々の心を和ませてきたきんさんが、天国に旅立った。1892年(明治25年)に生まれたきんさんは、明治、大正、昭和、平成と激動の19、20世紀をしっかりと生き大往生を遂げた。

 四男の幸男さん(69)によると、きんさんは数日前から風邪をひき、21日には病院に行き点滴治療を受けたが、特に異常はなかった。22日夜はおかゆを少々食べて就寝した。この日は午前8時30分ごろ1度起床して仏壇に手を合わせ、幸男さんの妻の菊枝さん(65)に「(朝ご飯は)まだええ。もう少し寝る」と言って再び床に入った。午前10時半ごろ声を掛けると、きんさんは顔色が悪く、すぐ主治医を呼んだ。手足が硬直した上に意識もなく、家族全員でマッサージしたが午前11時3分、心不全のため静かに息を引き取った。

 幸男さんは「最後は本当にあっけなく、眠るがごとく息を引き取った。もう少し長生きして、日本一長生きしてほしかった。母は1番頼りになる尊い存在で、立派な親でした。大変な時代を生き抜いてくれてありがとう。お疲れさまでした」と涙をこらえながら話した。

 家族によると、きんさんは22日夜から「なんまいだぶ、なんまいだぶ…」とお経を唱えていた。この日朝も、布団の中で、じゅ文のように唱えていた。自らの最期を悟り、静かにその瞬間に備えていたかのようだったという。双子のぎんさんは、前夜、きんさんの異変を察知してか、体調不良を訴えた。この日ふ報を聞き、「こんな悲しいことはない……」と涙で話した。

CMで人気者

 きんさんは数え年で100歳の1991年(平成3年)9月15日、ぎんさんと長寿姉妹として全国に紹介され、屈託のない笑顔と名古屋弁での軽妙な受け答えが人気を呼び、国民的アイドルとなった。すぐにCMキャラクターとして登場。「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳」のセリフは大ヒットした。その後も、CDデビューをはじめ多方面に活躍した。

お遍路さん姿

 その一方で、随所に明治女の気丈さも見せた。昨年10月、名古屋市の市制110周年記念式典に招待されたときには「車いすでは失礼だから」と、筋力トレーニングや散歩を欠かず行い、歩いて臨んだ。宮沢りえ(26)のヘアヌード写真集が話題になったときには「何億積まれてもわしゃ脱がん」の真剣な答えに、はからずもユーモアが漂った。

 この日夜、きんさん宅で身内を中心に仮通夜が営まれ、松原武久名古屋市長らが弔問に訪れた。家族によると、きんさんはいったん四国の霊場巡りでそでを通し「死んだ時に着たい」と話していたお遍路さんの装束で安置された。その後、おなじみの金色の着物に衣替えした。辰(たつ)年の今年、9回目の年女で、正月を前にしたインタビューでは「体が丈夫で過ごせればいいです。皆さんもお元気で」と答えていた。

 5キロほど離れた同じ南区内に住むぎんさんがきょう24日、107年間ともに歩んだきんさんの元を訪ね、悲しみの対面をする。

◆成田(なりた)きん
 1892年(明治25年)8月1日、現在の名古屋市緑区鳴海町の農業矢野熊吉さん、ゆかさん夫婦の間に、ぎんさんとともに誕生。7人兄弟の長女で妹3人、弟3人。1910年に18歳で農業成田良吉さん(1949年=昭和24年=死去、享年67)と結婚。男4人、女7人の計11人の子供を出産(うち女4人は出生間もなく死去)。現在、孫が11人(内孫2人、外孫9人)、ひ孫7人、やしゃごが1人いる。プロレスと相撲観戦が好きだった。身長約130センチ、体重約30キロ。血液型O。
葬儀日程
 ▼通夜 25日午後6時から、名古屋市千種区内山1の19の22、平安会館今池斎場で
 ▼葬儀・告別式 26日午前11時から同所で
 ▼喪主 四男幸男(ゆきお)氏

高齢化社会の不安を払う健康的、理想の老後像

 きんさんらが登場した1991年は、日本が本格的な高齢社会に突入する時期だった。社会評論家の塩田丸男氏は「日本は外国と比べ高齢社会となって日が浅いんです。でも、きんさんらが高齢社会の象徴となったことで、そんな不安もなくなった。双子という話題に加え、名古屋弁と愛きょうのある笑顔が良かったのでしょう。特にきんさんの愛くるしい笑顔がよかったですね」と話した。

 大家族で健康的な生活を送る姿は理想の老後像と言われた。すぐにCMにも起用された。姉妹を「カタログハウス」のCMに起用した広告代理店「中央宣興」の浅野宏さん(55)は「敬老の日の番組で2人を見て、だれにでも好かれるキャラクターがいいと思いました。高齢社会の中で2人がニコヤカで元気でいることが最高のメッセージになると思いました」と、語る。

 CMはきんさんの自宅で収録したが、撮影を続けていくうちに、きんさんの髪の毛がだんだんと黒くなってきたという。浅野さんは「人間の体は100歳を超えても刺激を受けると変化することを、その時に知りました」と、話している。


「何億積まれてもわしゃ脱がん」

きんさん語録

 ▼1992年(平成4年)1月 「金もうけのためにやるのはやじゃ。福祉に生かすのなら」(世間の注目を集めるようになったCM「カタログハウスの通販生活」「ダスキン」の出演条件について)

 ▼同1月 「何億積まれてもわしゃ脱がん」(宮沢りえのヌード写真集の話題に答え)

 ▼同2月 「くよくよせずに、嫌なこともいいことも忘れることが長寿の秘けつ。100年生きてきて、今が一番幸せ」(日本テレビ「追跡」で100回目の正月を迎えた感想)

 ▼同2月21日 「税務署には1度来てみてゃぁと思ってた」(名古屋市・熱田税務署での初の確定申告の感想)

 ▼同2月23日 「何も緊張してないわね。わたしゃ、スーダラ節も知っていますよ」(ドラマ初出演となった東海テレビ「名古屋出戻り物語」の収録で主演植木等と対面して=写真右

 ▼同2月25日 「大きいねー。ふたーり分(2人分)ぐりゃー(ぐらい)あるね」(アントニオ猪木議員の訪問を受けて=写真左

 ▼同3月7日 「みなさんのおかげで無事退院することができました。おふろに入れるし、はあ楽しみですわ。お魚? はい食べます、やっぱり好きですから」(口の中に魚の骨が刺さり入院していた中京病院を退院し)

 ▼同3月26日 「お恥ずかしい。遠慮しときます」(国会で国民栄誉賞が話題になったことに関して)

 ▼同6月22日 「ようなっとるね。こらあ立派だわ」(出版記念パーティーのため48年ぶりに上京して)

 ▼同8月1日 「100年は短かった」(満100歳の誕生日に)

 ▼同11月 「同じ裸どうしで良かったのではないのですかね」(貴花田=当時=と宮沢りえの婚約時のコメント)

 ▼同12月1日 「いやあ、いけませんな。裸は良くないです」(日本新語・流行語大賞を受賞した時に、マドンナの写真集を見て)

 ▼93年5月20日 「まあ、どきどきした」(春の園遊会で)

 ▼98年7月31日 「年はいくつになったかね、役場に行って聞いてこな、忘れちゃった」(満106歳の誕生日前の感想)

 ▼同12月24日 「今はよくなりましたよ。昔は戦争もあって、それこそ大変でした。みなさんで力を合わせて『景気はええ、景気はええ』と言っていれば、商売をやっている人に通じて景気はよくなりますよ」(不景気が続く年末に翌年の希望を聞かれて)

 ▼99年7月29日 「やっぱりうちがええ。早くぎんさんに会いたいねえ」(胃かいようで入院後、16日ぶりに帰宅して)

 ▼同8月1日 「106歳まで生きようと思っていたのでもういい」(札幌市内で開かれた107歳の誕生日会で)

 ▼同12月2日 「体が丈夫で過ごせればええです。みなさんもお元気で」(2000年を前に抱負を聞かれて)

きんさんアラカルト
◆マスコミ初登場 1991年(平成3年)9月15日の敬老の日に、愛知県知事から100歳のお祝いを受けニュースで報じられる。
◆CMデビュー 91年12月から「ダスキン」と「通販生活」がCMキャラクターとして起用。2人が座布団の上で人形のように座って話すしぐさが全国的な人気に。
◆CDデビュー 92年2月、「きんちゃんとぎんちゃん」で歌手デビュー。幼稚園児15人と2人が掛け合うほのぼのとした童謡。
◆ドラマデビュー 92年3月放送のフジテレビのドラマ「名古屋出戻り物語」に特別出演。植木等、大場久美子らを相手に名演技を披露。
◆初確定申告 92年2月、所得税の確定申告のため、生まれて初めて税務署を訪れた。CMやドラマ出演のギャラなどで2人の年収は530万円。ただ、大半を福祉に寄付し、還付申告だった。
◆100歳 92年8月1日、満100歳の誕生日を迎え、感想を聞かれ「100歳は短かった」。
◆流行語大賞 92年12月、「きんさん、ぎんさん」が流行語大賞・年間大賞に決定。
◆園遊会 93年5月の春の園遊会に出席。天皇、皇后両陛下と対面。
◆初海外旅行 95年5月、102歳で初の海外旅行として台湾に行き、大歓迎された。

きんさんぎんさん芸能活動アレコレ

 ▼イメージキャラクター 1992年(平成4年)、ニッポン放送のステレオ放送のキャンペーンに参加。CMにも出演。テレホンカードにも登場した。

 ▼にらめっこ 同4月、日本テレビ系特番「ザ・対決」に出演。きんさんぎんさんがにらめっこで対決した。

 ▼テレホンカード 同3月、名古屋市内のカード制作会社が販売。注文は1万枚を超えた。2人の希望で福祉基金に寄付された。

 ▼マスコットガール 同3月、TBSのバラエティー「春のNG大祭典」に出演。番組の開会宣言ほか各賞発表のトークを担当。

 ▼写真集 同4月、「いまがしあわせ きんさん ぎんさん100年の旅」を発売。2人の学生時代の秘蔵写真も掲載された。名古屋市内で写真展も開いた。

 ▼スタジオ生出演 TBS系「きらめきワイド」に生出演。

 ▼選挙PR 同6月の参院選のポスターに登場。「どなたもいってちょうよ」「大事な選挙だでよ」と呼びかけた。

 ▼ナレーター 同5月発売のクラシックアルバム「クラシックはいいねぇ〜」でナレーションを担当。レハールの「金と銀」では「私たちの曲だ」と解説。

 ▼映画鑑賞 同6月、名古屋市で「遠き落日」(三田佳子主演)を鑑賞。48年ぶりの映画だった。

 ▼歌声披露 93年12月、フジテレビ「オールスターカラオケ名人大賞」に出演。「リンゴの唄」「炭坑節」を歌った。

 ▼女子大生 94年4月から課目履修生として放送大学に入学。保健体育を履修した。

 ▼初靴 同7月、チャリティーパーティー「新・個性美とフィランスロピー(人間愛に基づく社会貢献)」に出演。金と銀のウオーキングシューズを贈呈され初めて靴を履いた。

 ▼銅像 99年9月、山梨県内に完成。高さは台座を合わせて1・5メートル。


ぎんさん涙「こんな悲しいことはない」

蟹江ぎんさん  きんさんの双子の妹蟹江ぎんさん(107)が23日、悲しみを耐え名古屋市内の自宅で会見した。ぎんさんは「自分がその身になった気持ちだった」と最愛の姉の死を悼んだ。前日22日夜には「体が痛い」と体調の不良を訴え、離れていても何かを感じていたという。明治生まれで、あと1年で姉妹そろって19、20、21の3世紀を生きる偉業達成だった。きんさんのためにも、ぎんさん、お元気で!

涙が出るだけ

 この日午前11時すぎ、五女の美根代さん(76)がきんさんの訃報(ふほう)を伝えた。ぎんさんは「どうするだ、どうするだ」とみるみる涙を浮かべて、布団を頭からすっぽりかぶりもぐり込んだという。合掌し「なんまいだぶ、なんまいだぶ……」とささやくように唱える声が布団の中から漏れた。

 105歳の誕生日の2ショット写真、子供たちから長寿を願って送られた寄せ書きなど、仲良し姉妹の思い出がいっぱい詰まった自宅の居間で、ぎんさんは会見に応じた。「きょうはいつもの強がりはいらんよ」の美根代さんの優しい声に促され、静かに口を開いた。

 「こんな悲しいことはない。涙ばっかり出てね。もう何もない。涙が出るだけ。物も言いたない」。首を大きく左右に振り下を向いたぎんさんの目には涙がいっぱいたまっていた。

 きんさんと最後に会ったのは今月21日だった。ぎんさんの自宅でテレビ番組の収録が約1時間行われた。その時、2人の会話は弾まなかったという。「何にも話ができんかった。(きんさんの体調が悪く)口があけれんかった」という。

 小さな背を丸め、両手をヒザの上で強く握りながら淡々と話した。ぎんさんは2人の関係を「親子」と表現し、助け合いながら歩んできた長い歳月を振り返った。離れていてもいつも心はひとつだった。

体がおかしい

 美根代さんによると、ぎんさんは、きんさんが亡くなる前日の22日夜、体の痛みを訴えた。「なんとなく苦しい。体中がおかしい」。それから半日後、最愛の姉が静かに息を引き取った。107年間、言葉がなくても通じ合った双子姉妹の、以心伝心だったのだろうか。美根代さんは「気が強い人だから顔にはなるべく悲しみを見せないようにしているようです。でも心の中は悲しい思いでいっぱいだと思います」と母親を気遣った。親族がぎんさんのショックを気遣い、天候不良もあり、この日は自宅から出ず、きょう24日、姉のもとを訪ねる。

きんさんの分も

 取材陣から「長生きしてください」と言葉を掛けられると、ぎんさんは何度も何度もうなずいた。19世紀に生まれ、激動の20世紀を生き抜きながら、きんさんは21世紀をあと1年にして天国に旅立った。国民的な長寿姉妹は、ぎんさんひとりになったが、国民のだれもがきんさんの分までぎんさんが元気でいることを、そして3つの世紀を生きる偉業を果たすことを応援し続けることだろう。

ぎんさんに聞く

 ──きんさんへの訃報を聞かれて?
 ぎんさん こんなに悲しいことはない。涙ばかりでなんにもない。

 ──きんさんと最後に会われたときの様子は?
 ぎんさん なんにも話ができんかった。(きんさんの体調が悪く)口があけれんかった。涙ばっかり出てね。

 ──きんさんとの思い出はありますか?
 ぎんさん 長い間、生きてきた。2人は親子みたいなものだったがね。あの人(きんさん)も私を親みたいに思っていてくれたはず……。親子みたいなもの……(言葉がつまり、ぎんさんはうつむいたまましばらく沈黙)

 ──いまの気持ちは?
 ぎんさん 自分がその身(死んだ)になった気持ち。

 ──早くきんさんのもとに行ってあげたいですか?(質問者はきんさんの遺体と早く対面してあげたいとの意図だったが、ぎんさんには別の意味で伝わってしまった)。
 ぎんさん (左右に首を振りうつむいたまま)。涙が出るだけだがや。

(写真=成田きんさんが亡くなり、自宅で悲しみに暮れる蟹江ぎんさん(23日午後、名古屋市南区で))


結婚は明治43年

 3男4女の7人兄弟の長女として生まれたきんさんは1910年(明治43年)、故成田良吉さんと結婚した。その後、11人の子供(4男7女)を産んだ。しかし長女和子さん、六女よしのさん、双子の三男光良さんと七女あや子さんを産後まもなく亡くした。夫の良吉さんは49年(昭和24年)、破傷風で亡くなったが、現在きんさんには孫が11人、ひ孫が7人、やしゃご(孫の子供)が1人いる。


最高齢112歳

 厚生省が昨年9月に発表した「全国高齢者名簿(長寿番付)」によると、100歳を超すお年寄りは1万1346人で、最高齢は鹿児島市の本郷かまとさん(女性)の112歳。男性の最高齢は110歳の田辺定義さん(全体で3位、川崎市)だった。

 100歳超の男性は前年より161人増の1973人、女性は1027人増の9373人。1971年(昭和46年)以来29年連続して最多記録を更新している。63年の調査開始時には100歳以上は153人しかいなかったが、急速に進む高齢化現象で、36年間で74倍に増えた。

 年齢別では100歳が最も多く4776人。年齢が1歳増すごとに人数はほぼ半減する。長寿者数の都道府県別トップは沖縄県で、人口10万人当たり28・06人。逆に最も少ないのが埼玉県で3・86人だった。

長寿の記録 双子は108歳9日

 ▼人類最長寿者(海外) 南フランス・アルルのジャンヌ・カルマンさんで、122歳164日。1875年2月21日生まれ、1997年8月4日、老衰のため、亡くなった。長生きの秘けつは「いつも微笑を忘れないこと」。

 ▼最長寿者(日本) 1995年(平7)7月に亡くなった猪飼(いかい)たねさんの116歳。1879年(明治12年)1月18日生まれ。きんさんぎんさんと同じ名古屋市出身。

 ▼最長寿の双子 108歳9日。米国バージニア州生まれのイーライ・シャドラック・フィップスとジョン・メシャック・フィップス兄弟で、1803年2月14日生まれ。イーライさんが1911年2月23日まで生きた。

 ▼最長寿の3つ子 米国テキサス州出身のフェイス、ホープ、チャリティのカードウェル家の3つ子で95歳137日。1899年5月18日生まれ。フェイスさんが1994年10月2日に亡くなった。


「国民栄誉賞を」

毒蝮三太夫「年寄りの見本」

 幅広い世代から支持されたきんさんだけに、月曜日の24日から国民栄誉賞などの声が関係各所から上がりそうだ。ラジオ番組で中高年に人気のタレント毒蝮三太夫(63)は「きんさんは年寄りの見本。100歳で有名になって活躍しているのを見て元気づけられた人も多く、国民栄誉賞をあげてもいいんじゃないかな」と話している。国民栄誉賞は功績を残すことが条件とされるが、これ以外にも愛知県民栄誉賞などの声も続々と上がりそうだ。

本当にショック…

 きんさんと対面したことのあるタレント西川きよし(53) 永久に生き続ける人と思っていたので、本当にショックです。100歳を超えてもかくしゃくとして、あこがれの存在でした。特にきんさんは愛きょうがありましたね。何とも言えん、ええ笑顔を見せてくれるんですよ。僕もこのように年を取りたいと思いました。今はただ、妹のぎんさんにね、お姉さんの分までますます元気でいてほしいと思います。

印象残ってる笑顔

 大相撲の横綱曙 横綱昇進の時からの付き合いです。あんなに年を取ってるのに自分で何でもやろうとすることと笑顔が印象に残ってます。プレゼントされたきんさんとぎんさんの手形は宝物。昨年7月の名古屋場所で会ったのが最後に。本当に残念です。

頭の回転よかった

 中日星野仙一監督(53) 何度か対談などでご一緒したことがありました。野球のことはあまりご存じないようなのですが「うちの孫がよく見ています」と話を合わせてくれたことを覚えています。頭の回転がよい方と感じました。107歳ですか。大往生といっていいんじゃないですか。

松坂「残念ですね」大友「双子の星」

 プロ野球の西武松坂大輔投手(19)は報道陣からきんさんの訃報を聞いて「えっ、本当ですか?」と、びっくりした様子だった。「あと少しで双子の最高齢世界記録だったんじゃないですか。残念ですね。ごめい福をお祈りします」と話した。また、自分も双子である西武大友進外野手(25)は「面識はないんですけど、きんさんは双子の星だったんですよ。寂しいですね」としんみりと話していた。

長寿の喜びを発信

 松原武久・名古屋市長 成田きんさんに最後に会ったのは1999年(平成11年)10月のことだった。「元気で頑張ってください」と激励されて、感動を受けた。名古屋から全国に向けて、長寿の喜び、尊さを発信されたきんさんのごめい福を心からお祈り申し上げる。

長寿社会のお手本

 神田真秋・愛知県知事 健康で明るく老いることを実践し、長寿社会の高齢者のお手本として全国の数多くの人がどんなに勇気づけられたことか。もっともっと(妹の蟹江ぎんさんと)そろって長生きしてほしいと願っていたのに残念。


世界へ速報で打電

 きんさん死去の報は、世界に伝えられた。AP通信、ロイター通信、タス通信などが続々と東京発で、きんさんが107歳で死去したことを世界に向け打電した。ギネスブックにも登場したきんさん、ぎんさんの存在が国内だけにとどまらないことを証明した。

異例の扱い

 各通信社はきんさん死去を東京発の速報で伝え、その死を惜しんだ。

 AP通信は「着物姿で並んで座る2人がテレビ番組に頻繁に登場、ウイットと前向きな生き方で人々を魅了した」と紹介した。ロイター通信は「晴れやかな笑い顔と活発さ、2人そろって長寿を達成したことで、日本だけでなく、世界的にも有名だった」と伝えた。

 中でもロシアのタス通信は「日本で人気のあった世界でもまれな長寿の双子姉妹の1人が亡くなった。金、銀を意味する名前の姉妹は、人生を愛する魅力的な人柄で日本国民の人気者となり、テレビやCMに登場した」などと詳しく報道した。「一般人」の死去としては異例の報道だった。

 台湾のテレビは23日の昼のニュースで大々的に報じた。約5年前にテレビ局の招きで台湾を訪れている姉妹は「金銀婆婆」の愛称で親しまれ、夕刊各紙はきんさんが元気なころの2人一緒のカラー写真を1面に掲載した。

 2年前の105歳の誕生日をニュース専門の米CNN放送が取材した。AP通信もこの時、仲のよい2人の様子を「麗しい老後の見本」と世界に打電した。昨年発行されたギネスブックでは、双子姉妹の最高齢ではなかったものの、「国の宝」という特別項目が設けられ、世界に紹介されていた。

 92年3月に米シカゴの新聞社の取材を受けた際、「英語は分からんですわ」と言って笑わせた。気負いのない言葉やさりげないユーモアで人々の心を和ませたきんさんとぎんさんの人気は日本国内だけにとどまらなかった。


オキャン演じた明治女

 きんさんはマグロの刺し身など魚が好物だった。1992年(平成4年)3月、舌の付け根にイサキの骨が刺さり出血、その傷口から菌が入り炎症を起こし入院、3センチにわたり切開手術を受けた。手当てが遅ければ気管がふさがれ、呼吸困難に陥る危険もあった。

 「早くうちに帰り、おふろに入りたい」と退院を心待ちにしたきんさんは、2週間の入院を終えて退院の朝5時に目が覚めた。婦長が「きんさんは花は何がお好きですか」と尋ねると「わたしゃ、桜の花。パッと咲いてパッと散るから」と答えた。婦長が「(遠山の)きん(金)さんだから、桜吹雪が似合いますね」とジョークを飛ばすと「アッハハハ……」と声を上げて笑った。

 どこまでも明るく天真らんまん、少女のような心で周囲を笑いに包むきんさんに対し、ぎんさんは熟慮タイプのしっかり者。その妹を「あの人は丈夫だでねえ」が口癖だった。

 CMで一躍“時の人”となり地元名古屋のテレビドラマ「名古屋出戻り物語」に姉妹で出演したことがある。冬の寒い日、寺の大広間を借りて収録した。待ち時間にうとうと居眠りを始めたぎんさんに、きんさんは自分のひざかけをそっとかけた。公の席ではいつも“オキャン”を演じていたが、明治生まれで忍耐強く、妹を気遣っていた。

 人生の終盤で有名人となり全国各地に出かける忙しい日々も「このトシになっていろんなところに行けて、いろんな人に会えるのはうれしい」と素直に喜んでいた。長生きすることの素晴らしさを教えてくれた気がする。 【放送担当・新村明】


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