訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

荒井注さん、肝不全のため死去

荒井注さん  ザ・ドリフターズの元メンバーで俳優としても活躍した荒井注(あらい・ちゅう)さん(本名荒井安雄=あらい・やすお)が9日午前4時30分ごろ、静岡県伊東市富戸(ふと)1317の2388の自宅で肝不全のため死去した。71歳だった。2年前から肝硬変のため入退院を繰り返し、この日入浴中に意識不明となり、まり夫人(33)が119番通報したが間に合わなかった。荒井さんは、ザ・ドリフターズの元祖メンバーで、ふてぶてしいキャラクターで存在感を示し「なんだ、バカヤロー」などのギャグが大流行した。

1日入浴6時間

荒井注さん  荒井さんは、太平洋を見渡せる自慢の浴室で亡くなった。荒井さんはここ数日体調が悪く寝たままの生活だったが、1日5、6時間は入浴するふろ好きで、8日も午後11時ごろから入浴。この日朝6時30分すぎにまり夫人が浴槽の中で意識不明の荒井さんを見つけ、すぐに119番通報し救急隊が駆け付けたが、既に死亡していた。死亡推定時刻は午前4時30分だった。

 荒井さんの所属事務所社長は「まり夫人はいつも1時間おきに見にいっていました。ここ数日間の看病疲れからうたた寝してしまったことをすごく後悔しています」と話した。遺体は2階和室に安置され、まり夫人は片時も離れず付き添っているという。

病院6カ所転々

 関係者によると、荒井さんは2年前に神奈川・小田原市内の病院で緑内障の手術をした時に、肝硬変が分かった。しかし、病院嫌いで、入院しても1週間ほどで退院し、これまで6カ所の病院を転々としていたという。

 荒井さんは大学卒業後、脚本家を目指していたが、64年にザ・ドリフターズに加入した。メンバーの中では最年長者で、リーダーのいかりやとともにグループを引っ張り、TBS「8時だヨ! 全員集合」で人気は最高潮に達した。加藤の軽いギャグに対して、荒井さんはふてぶてしいキャラクターで存在感を示した。カメラに向かって毒づく「なんだ、バカヤロー」や「ジス・イズ・ア・ペン」のギャグが大流行した。

悠々自適の生活

 荒井さんは、体力を理由に46歳の年の74年にドリフから脱退した。荒井さんは当時「10年間ドタバタをやって疲れた」と説明していた。背景にギャラの配分などをめぐる衝突もささやかれた。若い志村けんが番組で人気を得るようにもなり、最年長の荒井さんが自らの引き際を演出した、ともいわれた。

 その後は俳優やタレントとしても活躍、TBS「時間ですよ・昭和元年」のとぼけた味が評判を呼んだ。プライベートでは、91年に38歳年下のまり夫人と再婚し話題となった。伊東市・伊豆高原の650坪の土地に住居をもち、悠々自適の生活を送っていた。関係者によると、借金などは一切なかったという。

 年末年始に放送された富士フイルムのCMで、荒井さんも含めてドリフのメンバー全員が久びさに仕事で再会した。体力が落ち、腹水を抜きながらの撮影で、荒井さんの体調を最優先して行われた。加藤茶(56)は「注さんはこれまでドリフでの仕事を断ってきたので、きっと死期を悟っていたんでしょう」と話しており、荒井さんにとってメンバーに別れを告げる覚悟の仕事だったようだ。
(写真=38歳年下のまり夫人との結婚会見での荒井さん(91年6月11日、静岡・伊東市のなぎさ公園で))

◆荒井注(あらい・ちゅう)
 3度結婚 本名荒井安雄。1928年(昭和3年)7月30日、東京都生まれ。二松学舎大卒業後の60年、クレイジーウエストに参加しピアノを担当。64年、ザ・ドリフターズを結成、エレクトーン奏者となった。69年スタートのTBS「8時だヨ! 全員集合」で人気を決定づけた。74年、体力の限界を理由にグループを脱退。TBS「時間ですよ・昭和元年」で単独で初のドラマ出演。「日本のミュージカル」(82年)「アニーよ銃をとれ!」(83年)など舞台にも出演。58年に学生結婚した弘子夫人とは83年に死別。85年32歳年下の女性と再婚するも1年10カ月で離婚。91年、38歳年下のまり夫人と再々婚した。
葬儀日程
 ▼通夜 10日午後6時から、静岡県伊東市吉田1026の2、式典会館白寿で
 ▼葬儀・告別式 11日午前11時から同所で
 ▼喪主 妻まりさん


メンバーに別れ?七福神CMで最後の仕事

 荒井さんが最後に出演したのは富士フイルム「フジカラーお正月を写そう」のCMだった。昨年12月30日から放送され、ザ・ドリフターズの現メンバー5人と荒井さん、女優田中麗奈(19)の7人が七福神にふんしたユニークな作品だ。高木ブーによると「現在のメンバーと田中さん合わせて6人しかおらず、七福神にならない」ともう1人の人選を考えた末、元メンバーの荒井さんに白羽の矢が立ったという。

 撮影現場で荒井さんは、久しぶりのメンバーとの再会に手を取り合って昔話に花を咲かせた。強行スケジュールとなったが、荒井さんは自分のカットが終わるたびに監督と一緒にモニターをチェックするなど、精力的だったという。


ドリフ

ドリフ悲しみの全員集合

 いかりや長介(68)らザ・ドリフターズのメンバー全員が9日夜、仕事先から静岡・伊東市の自宅に駆け付け荒井さんと対面した。荒井さんとドリフのメンバーが顔を合わせたのは、昨年11月末のCM撮影以来。メンバー全員が集合すると、いつも笑いが絶えない明るい現場だったが、いかりやは「本当に悲しい集合になりました。自分の人生のやるべきことをやり遂げた顔をしていた」と語った。
(写真=荒井注さんのふ報に駆け付けたザ・ドリフターズ。左から仲本工事、加藤茶、いかりや長介、高木ブー、志村けんは悲しみをこらえ懸命に笑顔を見せていた)

面影なかった

ドリフ  荒井さんの訃報(ふほう)を受け、この日午後7時ごろからいかりやらドリフのメンバーが荒井さんの元に駆けつけた。いかりや、高木ブー(60)仲本工事(58)加藤茶(56)志村けん(49)が、自宅の2階和室で眠っている荒井さんと対面した。いかりやは「人生、やるべきことをすべてやり遂げた満足そうな顔をしていた」と話した。

 メンバーが最後に顔をそろえたのは、昨年11月末の富士フイルムのCM撮影の現場だった。体調が悪いにもかかわらず志村に「オレのおなかは3リットル腹水がたまっているんだ。バランス取りづらいんだよ」とギャグを飛ばした。付き添っていたまり夫人が心配するほどの熱の入れようだったというが、加藤は「でも昔の面影は全然なかった。面白いんだけど、痛々しくて笑えなかった」と話した。撮影後、荒井は「みんなに元気をもらったよ」と話していたという。

十分に働いた

 荒井さんの人生哲学は「人に迷惑をかけず、お互いを尊重して好きなように生きる」だった。ドリフ脱退の際「長さん、オレはもう十分に働いた。オレ自身も、これだけ働く人間だとは思わなかった。もう遊びたい。今すぐ抜けると迷惑かかるだろう。だから、あと半年、奉公するよ」と話した。いかりやは「あの時、荒井さんとじっくり話したことが僕にとっての教えとなっている」。

笑いももれた

 荒井さんの脱退で付き人からメンバーに昇格した志村は「付き人のころ、撮影でブラジルに行った。笑ってばかりの楽しい旅だった」と話した。いかりやが「そういえば、あの時、荒井が英語を話せるかって心配したな。『ジス・イズ・ア・ペン』しか話せないんじゃないかって」と思い出すと、メンバーから「そう、そう」と懐かしむ笑いがもれた。

 高木は「もう1度『なんだ、バカヤロー』を聞きたかった」、仲本は「ギャグを言った後、ちらっと笑う顔が忘れられない」と話した。加藤らによると、まり夫人は「病院で医者に体を触られるのも嫌だった人。自分が最期をみとれて幸せだった」と話していたという。

 いかりやは「こうやってメンバーがそろったことで荒井さんは十分だと思ってくれていると思う。荒井さんはドリフのOBですが、メンバーと同じです。一番先にいってしまいましたが、かっこいい、ダンディーなOBを持てて私たち5人は幸せに思っています」と話した。追悼イベントなどはこの日の段階では未定だが、この日の全員集合が荒井さんにとって最高の葬送だった。
(写真=荒井注さん(左から2人目)がいたころのTBS「8時だヨ! 全員集合」。左から仲本工事、いかりや長介、加藤茶、高木ブー)

ドリフメンバーの活動

 ▼いかりや長介 俳優として活躍。ドラマ、映画の「踊る大捜査線」が好評だった。99年度日本アカデミー賞助演男優賞を獲得。

 ▼加藤茶 パソコン学院のCMで「アビ婆」姿が話題に。昨年は映画「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」に出演。

 ▼仲本工事 昨年、加藤、高木とともに「こぶ茶バンド」を結成。日本テレビ「サイコメトラーEIJI2」にゲスト出演。

 ▼高木ブー ハワイアン歌手の第一人者として、昨年、初のソロコンサート。得意のウクレレを披露。

 ▼志村けん テレビ朝日「神出鬼没タケシムケン」でビートたけしと出演。映画「鉄道員(ぽっぽや)」で高倉健と共演。

ザ・ドリフターズ
 ビートルズの前座も コミックバンドとしてスタートしたザ・ドリフターズは、1966年(昭和41年)にザ・ビートルズが来日した際には前座を務めた。当時「引っ込め」の怒声を浴びせられたが、4年後には自分たちが国民的なアイドルになっていた。TBSテレビ「8時だヨ! 全員集合」が70年10月10日から10週連続で視聴率40%を突破するという驚異的な数字を記録。「怪物番組」「お化け番組」などといわれる一方で、ワースト番組のトップにランクされて一部で目の敵にされたが、人気はうなぎ上りだった。山口百恵、キャンディーズなど当時のスーパーアイドルもこぞって出演した。

 いかりやの「オッス!」加藤茶の「ちょっとだけよ、あんたも好きね」と並んで、荒井さんの「めんどくせえや」「また違った」「なんだ、バカヤロー」が流行語になり、子供たちが盛んに口にした。

 歌でも、68年の「ズッコケちゃん」から、69年「ミヨちゃん」「ドリフのズンドコ節」70年「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」「誰かさんと誰かさん」とヒットを飛ばし、「ズンドコ節」にいたっては150万枚を売った。人気者ゆえにファンの要求にこたえているうちに、年長の荒井さんは「疲れた、休みたい」とメンバーから離れたのが74年で、以後、志村けんが荒井さんの代わりに活躍し、ドリフターズは第2期の黄金期を迎えていく。

クレージーキャッツ「寂しい」

 コミックバンドの双へきとしてドリフと人気を2分したクレージーキャッツのメンバーも、荒井さんの死を悼んだ。クレージーは、故ハナ肇さん(享年63)が荒井さんも含め、ドリフのメンバーの芸名をつけるなど、ドリフの兄貴分だった。仕事先でマネジャーから訃報を聞いた植木等(72)は驚いた様子だったという。「自分より若い人が先に逝(い)かれるのはつらいです。一緒に仕事をしたのは2〜3回だったと思うけど、非常に思いっきりのいい男で、気持ちよかったです。心よりごめい福をお祈り申し上げます」とコメントした。また、谷啓(67)も「あのぶっきらぼうな、ものの言い方がとても好きでした。去り際の捨てぜりふがとても絶妙で、だけどとても温かい人でした。大好きな友達がまた1人遠くへ行ってしまうのかと思うと、とても寂しい思いがします」とコメントを寄せた。


面倒見てもらった

 「8時だヨ! 全員集合」でよく共演した歌手西城秀樹(44)の話 デビュー当時、よく面倒を見てもらったことを覚えています。歌以外のこと、芸能界のしきたりやお笑いのアドバイスをしていただきました。

楽しそうだった

 富士フイルムのCMで荒井さんと共演した女優田中麗奈の話 撮影でご一緒させていただいたときは(荒井さんが)ドリフターズの方々と本当に楽しそうにお話されていたのが印象に残っています。


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