訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

梶山静六元官房長官 死去

梶山静六元官房長官  「竹下派七奉行」の1人で「大乱世の梶山」と呼ばれ、自民党幹事長などを歴任した梶山静六元官房長官が6日午後3時45分、閉塞(へいそく)性黄疸(おうだん)のため東京・築地の国立がんセンター中央病院で死去した。74歳だった。梶山氏は1月に車で移動中に追突され、2月に硬膜下血腫(しゅ)除去の脳手術を受けて、4月に政界引退を発表していた。選挙区の茨城4区では後継の長男弘志氏(44)が出馬しているが、5月14日に死去した小渕恵三前首相の群馬5区に続いての「弔い選挙」となった。

交通事故入院

 梶山氏は今年1月30日、地元から秘書の運転する車で上京する際、後続車に追突された。入院して一時復帰したが、意識がもうろうとするなどしたため、都内の病院に入院。「硬膜下血腫」が後頭部にできていることが分かり、2月19日に手術していた。

 その後も回復が思わしくなく、4月25日に政界引退を表明。後継を長男の弘志氏に決めていた。

 梶山氏は竹下登元首相を支え「竹下派七奉行」といわれた。党内では「1つの時代が終わった」との実感が広がっている。

 「次々に逝ってしまうなあ」。野中広務幹事長(74)は党本部で記者団に寂しげな表情を見せた。

 森喜朗首相(62)は「(初当選が)同期生だった。長い付き合いがあり、思い出もいろいろある。政治家として勘の鋭い人だった」と述べた。

 後継として出馬する弘志氏は、茨城県庁での記者会見中に訃報(ふほう)を知った。報道陣の携帯電話が鳴り、死去の知らせを聞かされると「急変しうるとは聞いていたが……」と絶句。「大丈夫と思っていた。早すぎる」とみるみる目を真っ赤にした。その後、事務所に確認を取ると「父のような一本しんの通った政治家になりたい。お疲れさまでした」と語り会見場をあとにした。

 竹下派七奉行のうち、自民党に残るのは橋本竜太郎元首相(62)だけ。奥田敬和元運輸相と小渕恵三前首相、梶山氏の3人が鬼籍に入った。奥田氏の長男はすでに1回当選、小渕前首相は二女の優子さん(26)、梶山氏は長男の弘志氏と、ともに2世議員が今回の総選挙に挑戦する形となった。

小渕氏と争う

 梶山氏は「電動のこぎりでいえば、私や小沢一郎はのこぎりを回す軸の役目」などと旧小渕派内の役目を語ったことがある。しかし、1998年(平成10年)夏の参院選で自民党が大敗すると、秋の総裁選では派閥を離脱して出馬。小渕前首相と争って敗れた。その後は無派閥で「構造改革」の必要性などを説いていたが、再び政界の表舞台に立つことはできなかった。



心は離れなかった

 橋本竜太郎元首相 完全に任期を終わって責任を果たし終わってというのが梶さんらしいが、仲間が選挙区に帰ってしまっていて寂しい。梶山さんが当選して1年か2年たって、沈没した旧日本軍潜水艦の引き揚げに努力するなど、温かい人だった。ぶつかったり離れたりしたこともあったけれど、結局心は離れなかったと信じている。

葬儀日程
 ▼通夜 8日午後6時から茨城県常陸太田市山下町1187の3の自宅で
 ▼密葬 9日午前11時から同所で
 ▼葬儀・告別式 日取りは未定だが自民党葬として行う方向
 ▼喪主 長男弘志(ひろし)氏


◆竹下氏と竹下派七奉行◆
竹下登74歳で政界引退
小渕恵三62歳で死去
梶山静六74歳で死去
奥田敬和98年70歳で死去
渡部恒三(68)前衆院副議長
橋本竜太郎(62)元首相
羽田孜(64)民主党幹事長
小沢一郎(58)自由党党首
 ◆梶山静六(かじやま・せいろく) 1926年(大正15年)3月27日生まれ。茨城県出身。陸軍航空士官学校に入学したが、敗戦によって日大工学部に転じ49年卒業。55年に29歳で茨城県議に当選。40歳で当時全国最年少の県会議長に選ばれる。69年、茨城2区から衆院議員に当選。その後当選9回。竹下内閣自治相、宇野内閣通産相を歴任。竹下派(経世会)結成で主導的な役割を果たす。90年(平成2年)法務大臣、92年には党幹事長、96年からは内閣官房長官を務めた。竹下派七奉行の1人で、行動的な一面から「武闘派」と呼ばれた。


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