訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

松鶴家千代若さん、肺炎による呼吸不全のため死去

松鶴家千代若さん  「もう帰ろうよ」などのセリフで知られる漫才界の最長老、松鶴家千代若さん(しょかくや・ちよわか、本名安藤定夫)が15日午前3時50分、肺炎による呼吸不全のため東京・荒川区の病院で死去した。91歳。長年にわたり漫才界の第一線で活躍する一方で、ツービートら数多くの芸人を育てた。1996年(平成8年)4月に65年間コンビを組んだ妻の千代菊さん(享年81)に先立たれたが、持ち前の気力で入院する直前の昨年8月まで舞台に立ち続けていた。

75年紫綬褒章

 都内の自宅に安置された千代若さんの遺体は、眠っているような穏やかな表情だった。隣にはネコのぬいぐるみが置かれた。

 千代若さんは4年前に千代菊さんに先立たれた後も「女房のために漫談を続ける」と言って1人で舞台に立ち続けた。昨年8月には東京・浅草演芸場で古今亭志ん朝(62)らと「風流住吉踊り」に出演、最長老の漫才師として元気な姿を見せた。しかし、その直後に体調を崩し、激しく嘔吐(おうと)したことが原因で脳内出血を引き起こして都内の病院に入院した。「心配をかけたくない」と本人の希望で、入院のことは周囲には知らされなかった。二女の絹恵さん(66)らには「早く(舞台に)上がりたい」と毎日のように話していたという。

 千代若さんは14歳のときに松鶴家千代八に弟子入りし、以来65年間、妻の千代菊さんとコンビを組んで漫才ひと筋で生きてきた。東京漫才の草分けだった。「早くやって、もう帰ろうよ」のセリフが戦中、戦後を通して一世を風靡(ふうび)。75年には演劇界で初めての紫綬褒章も受章した。ツービートは68年に入門した最後の弟子だった。92年にビートたけしら弟子たちが企画したダイヤモンド婚式(結婚60年目)を都内で行い、コロムビア・トップ、内海桂子、三遊亭金馬ら320人が出席した。弟子たちの励ましに「100歳まで続けていく」と意気軒高だったが、その夢はかなわなかった。病院で千代若さんの最期をみとった絹恵さんは「天国でまた母と2人で漫才ができるようになりましたね」と話していた。
(写真=若き日の松鶴家千代若さん(左)と千代菊さん)

◆松鶴家千代若(しょかくや・ちよわか)
 本名安藤定夫(あんどう・さだお)1908年(明治41年)10月25日、栃木県生まれ。23年(大正12年)に松鶴家千代八に弟子入り。29年(昭和4年)に地方巡業中に千代菊と知り合い、31年に結婚。「芸、心ともに合い寄るものあり」と夫婦として民謡漫才を結成。75年に紫綬褒章を受章。83年に勲4等瑞宝章も受章。漫才協団相談役も務めていた。
葬儀日程
 ▼通夜 18日午後6時から、東京都荒川区町屋1の23の4、町屋斎場で
 ▼葬儀・告別式 19日午前11時から同所で
 ▼喪主 二女絹恵(きぬえ)さん
 ▼葬儀委員長 コロムビア・トップ
 ▼自宅 東京都台東区小島2の10の9


ビートたけし、うつむきうなずく

 ビートたけしは師匠の訃報(ふほう)を都内のテレビ番組収録先のスタジオで聞いた。連絡を受けたマネジャーが伝えると、うつむいたまま静かにうなずいたという。駆け出し時代のツービートは「やっぱりお願いするなら千代若さんと千代菊さん」というたけしの決断で68年に弟子入りした。ダイヤモンド婚式には「これから寒くなりますから」と羽毛布団のセットを贈り、お祝いにも駆けつけた。通夜か葬儀・告別式のどちらかに参列するという。

キヨシぼう然

 この日、千代若さんの自宅には弟子のビートキヨシ(50)東京太(56)らが弔問に訪れた。キヨシは仕事の打ち合わせをキャンセルして駆けつけた。「ちょうど昨晩、友人と酒を飲んでいて師匠の話をしたばかりだった。入院していたことも知らなくて、びっくりしました」とぼう然としていた。「相棒(ビートたけし)もそうだと思うけど、怒られたことがなかった。きっと孫のように思ってくれていたんでしょう。それにしてもこの年齢まで芸人としてやってきた気力は本当にすごいと思う」と語った。
(写真=松鶴家千代若さんの遺体を見守る弟子のビートキヨシ(手前)と東京太)

方言の先駆者

 内海桂子(77)の話 最後にお目にかかったのは、昨年11月の漫才大会で功労賞を差し上げたときでした。病院から車いすで駆けつけてくださったんです。千代若さんは戦前から活躍されて、方言のなまりというものを初めて漫才に持ち込んだ先駆者でした。なまった声をワーッと出す芸風がとにかくおかしかったですね。コンビを組んでいた奥さんが亡くなり、娘さんにも先立たれ、寂しかったのではないでしょうか。

熱烈巨人ファン

 コロムビア・トップ(78)の話 漫才界の大先輩でした。昔の漫才はみんな一人一芸だったんですが、千代若さんは民謡をうたわせれば第一人者でしたね。善人が服を着て歩いているような人だった。熱烈な巨人ファンで、巨人が負けたら舞台に出てこなかったり、楽屋でだれかが巨人の悪口を言ってケンカになったこともありました。

自分のスタイル守り続けた

 演芸評論家の川戸貞吉さん(66)の話 千代若さんは伝統的な漫才の型を現代まで残していた方でした。お正月になれば鼓をもって数え歌を交えた漫才を披露するなど、現代の漫才とは違う、古きよき漫才を守ってきた功績は大きいですよね。他の漫才師の領域に入ることなく自分たちがつくり上げたスタイルを静かに守り続け、どこかアットホームな雰囲気が多くのお弟子さんたちを引き付けたのではないでしょうか。伝統的な型のできる最後の漫才師でした。これで漫才の1つの時代が終わったと言えますね。残念です。


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