訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

桂三木助さん

落語家桂三木助さん、首つり自殺

 落語家桂三木助さん(43=本名・小林盛夫=写真)が3日、東京・田端の自宅で首つり自殺した。この日午後1時25分ごろ、隣に住む母仲子(なかこ)さん(72)がベランダで首をつっている三木助さんを発見した。すぐに都内の病院に運ばれたが既に意識不明の状態で、間もなく死亡した。三木助さんは名落語家の3代目三木助(享年58)の長男で、日ごろから父の名にプレッシャーを感じ、最近も芸に悩んでいた。昨年11月ごろからそううつ状態が激しくなり、意味不明の言葉を口走るなどしていたという。葬儀日程などは未定。

遺書なく

 三木助さんが発見されたのは3日午後1時25分ごろだった。警視庁滝野川署などによると、三木助さんはこの日午後2時から東京・浅草演芸ホールでの高座を控えていた。母の仲子さんが、昼すぎになっても起きてこない三木助さんを起こしに1階東側の自室へ行ったところ、ジャージー姿でベランダの物干し用フックに和服のひもをかけ首をつっているのを発見した。すぐに119番通報し、自宅に近い都立駒込病院に搬送されたが、既に意識不明の重体で、午後2時5分に死亡が確認された。遺書などは見つかっていない。遺体は午後5時すぎ、自宅に戻った。同署は自殺とみて動機などを調べている。

 この日夜、姉でマネジャーの小林茂子さん(45)が会見した。「昨年11月ころから、芸のことで悩んでいたようです。三木助という看板のプレッシャーで、つらいものを全部自分で背負っていた。今は、1階の和室で、非常に安らかな笑顔で眠っています。よく、ここまで頑張ったね、と声を掛けてあげた」と涙声で話した。

 茂子さんによると、1997年(平成9年)12月に、芸術祭で演芸部門優秀賞を受賞してから、上を目指す気持ちが強くなったという。茂子さんは「自分の目指す芸の世界と、現在の自分との距離がかけ離れていて落ち込んでいた。落語で認められたいという気持ちが強かった」と話した。

言動異変

桂三木助さん  三木助さんは前日の2日には元気に高座をこなしたが、関係者によると、昨年11月ごろから、そううつの状態が激しくなり、突然、連絡が取れなくなることもあった。元日に東京・目白の柳家小さん(86)の自宅で行われた柳家一門の新年会と、2日夜に同所で行われた小さんの誕生日会は、それぞれ連絡もなく欠席した。2日夜は自家用車で外出したが、家人によると3日午前6時には車が戻っていたという。

 落語協会によると、三木助さんは昨年12月1日から10日まで東京・池袋演芸場で若手数人が出演する高座をプロデュースしたが、3日目以降、1度も顔を出さなかった。また、意味不明なことを口走ることもあり、周囲では「言動がおかしい」と話していた。

芝浜悩み

 三木助さんは「芝浜」などの名演で芸術祭奨励賞を受賞した3代目三木助の長男として生まれた。本名の小林盛夫は、父と義兄弟だった柳家小さん(本名・小林盛夫)からの名前をもらった。サラブレッドとして真打ち前にテレビのレギュラー番組9本を持つ売れっ子タレントとなり、85年には異例の18人抜きで真打ちに昇進した。

 その一方、常に父の3代目三木助を意識していたという。99年2月、自宅で意識不明の状態に陥り緊急入院、一時は重体と伝えられたが、翌日、関係者に「10日間頑張ります」と電話するなどピンピンしていた。結局、単なる風邪だったが、1週間後に父の名演「芝浜」を演じる重圧があったといわれている。同じ2世落語家の古今亭志ん朝(62)は訃報(ふほう)を聞き「先代のせがれということが、七光というよりプレッシャーになっていたのでは」と話した。

18人抜き真打ち

 ◆桂三木助(かつら・みきすけ)本名・小林盛夫。1957年(昭和32年)3月29日、東京都生まれ。父は名人といわれた3代目桂三木助。3歳の時に父が死去したが、立大在学中の77年に父と義兄弟だった柳家小さんに入門、柳家小太郎を名乗った。NHK「お好み演芸会」のレギュラーで人気を得て、85年に二つ目では異例の鈴本演芸場で独演会を開催。同年、大卒落語家で史上最速の入門8年目、18人抜きで真打ちに昇進、同時に4代目を継いだ。97年(平成9年)に芸術祭で演芸部門優秀賞を受賞。90年7月に広告デザイナー(37)と結婚するが4カ月で離婚。

ミエ効いた高座、得意は「反対俥」

 ◆三木助さんの芸風 偉大な父を持ち、スピード出世で落語界のサラブレッドともいわれた三木助さんの芸風は、現代的なセンスを生かした話しぶりから落語界の新人類と呼ばれた。高座のほかテレビやラジオでも活躍。先輩落語家や専門家は、新しい感覚とミエの効いた高座が特徴だったという。古今亭志ん朝は「いい意味で父親に似ていた。いい意味でいい加減で芸人っぽい噺家(はなしか)だった。今の世の中は芸にミエが必要で三木助さんにはそれがあった。でもこれからもっと努力して、そのミエが大いに出てくるときだったのに……」と話した。演芸評論家の川戸貞吉氏は「春風亭小朝らに引っ張られ、割と順調にいいところまできていたのに。高座は現代的、若者風というか、古典落語も古いままではなく自分のセンスや新しい感覚をどんどん取り入れた。父を目指していたのか、父親が書き残した古い落語の資料にも目を通していた。落語は40代から仕込んで、50代から花を咲かせるといわれているのに残念」と話した。得意のネタは無類の車好きの三木助さんらしく人力車を扱った「反対俥(ぐるま)」だった。

(写真=自転車での転倒事故から復帰し、初舞台を踏んだ桂三木助さん(1996年11月11日、池袋演芸場で))


自分の限界見える40代

 福島章上智大教授(心理学)の話 自殺というのは年を取るほど増加しますが、特に40代というのは自分の限界がある程度見えてくる世代です。高齢者の自殺原因は病苦などが多いのですが、40代ぐらいでは悩みやストレスが原因という場合が多い。特に、うつ病の傾向のある人は、外見的にニコニコしていて活動的にみえても、内面的にはストレスを抱え、抑鬱(よくうつ)に傾き、希望を失ったり死を考えてしまう。うつ病は外交的で社交的でまじめな人ほどなりやすい。最近の三木助さんの気分の状態がどうだったのか分かりませんが、40代というのは頑張っても超えられない限界を感じ、また超えようとするエネルギーも気力もなくなりかけてしまいやすい年代なので、そのあたりに原因があったのかもしれません。


初席に衝撃、黙るこぶ平、円歌まさか

左から柳家小さん、桂三木助さん、三遊亭円歌  桂三木助さん(43)が自殺した3日、おめでたいはずの初席に衝撃が走った。東京・田端の自宅には、同期で同じ2世落語家の林家こぶ平(38)や古今亭志ん朝(62)らが駆けつけた。三木助さんが元旦、2日と出演していた東京・浅草の浅草演芸ホールなどは重苦しい雰囲気となった。落語協会会長の三遊亭円歌(71)は「こういう形で才能あるはなし家をなくすのは残念」と語った。

暮れ飲んだ

 林家こぶ平はこの日夜、上野・鈴本演芸場の高座を終えた後、古今亭志ん朝と一緒に、変わり果てた三木助さんと対面した。自宅に帰ったこぶ平は「静かにしといて。何も話す気になれない」と自室にこもった。ひっきりなしに鳴る電話も断り、ひとり亡き友をしのんだ。

 こぶ平の母親の海老名香葉子さん(67)が代わって取材に応じ「相当なショックを受けたようで、しばらくそっとしておいてやってください。三木助さんは昨年暮れの16日に三平堂の落語会に出てくれて、夜更けまでお酒を飲んで話したのですが、元気そうでしたし『親孝行するんだ』と言っていたのに……」と話した。

大きな損失

 手術後で自宅休養中の落語協会会長の三遊亭円歌は、協会事務員の連絡で悲報を聞いた。「まさか、こんな形で亡くなるとは……。お客さまからお題をいただいて落語にまとめる『3題ばなし』に挑戦したり、企画ものをやったり、とても意欲的な人だった。これから伸びるところなのに残念。私も新作をやるので、うまくいかない時など逃げ出してしまいそうになることもある。彼が昨年暮れ、池袋演芸場で席を抜いたと聞いた時も、そういう悩みかな、と思った。落語界にとっても大きな損失です」と惜しんだ。

 2日夕方、東京・浅草の東洋館の楽屋で言葉を交わした林家こん平(57)は「高座の横で『これから?』『はい、ちょっと遅れちゃったもんで』といった調子で、いつもと全く変わったところはなかった。それにしても、今日(3日)の楽屋は空気が重いです」と話した。同館で共演した大先輩の橘家円蔵(66)は「ショックが大きすぎてノーコメントにしてください」と沈みきった声で話した。

(写真=98年、芸術祭賞の受賞パーティーで左から柳家小さん、桂三木助さん、三遊亭円歌)


友人ら駆けつける

 三木助さんの急死の一報が流れた午後7時すぎから、東京・田端の自宅周辺に40人以上の取材陣が集まった。訃報(ふほう)を聞いて三木助さんの高校・大学の同級生や知人も駆けつけたが、ほとんどが無言のままだった。落語協会の関係者も慌ただしく出入りしたが、取材陣の呼びかけに対して「詳しいことは明日話しますので……」と繰り返すばかりで、ショックの大きさを感じさせた。

 桂三枝(57)の話 私と同じように創作落語に挑戦して、とても意欲的な方でした。実験的なネタが多く「頑張っているなあ」と期待していたのに、とても残念です。一流の一門だから、ぼくたちには分からないプレッシャーがあったのかもしれませんね。残されたぼくたちが頑張らねばと思っております。


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