訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

菅原加織さん

菅原文太の長男 
       菅原加織さん逝く

 俳優菅原文太(68)の長男で、俳優菅原加織(すがわら・かおる=本名薫)さんが23日午後11時10分ごろ、東京都世田谷区北沢の小田急線の踏切内で上り電車にはねられ、死亡した。31歳だった。病院に運ばれたが、頭や胸を強く打っており、24日午前1時すぎ、死亡が確認された。下り電車が通過した後、下りていた遮断機をまたいで踏切内に入り、はねられた。遺体は岐阜県清見村にある文太の自宅に運ばれ、25日にも近親者で密葬される。

上り電車に気付かず?

 警視庁北沢署によると、加織さんは事故直前、東京都世田谷区北沢2丁目にある小田急線の踏切で、電車の通過を待っていた。午後11時10分ごろ、下り電車が通過した後、下りていた遮断機をまたいで踏切内に入り、その直後、左側から来た相模大野発新宿行きの上り電車にはねられた。

 近所の人の通報で駆けつけた救急車で、東京・目黒の国立東京医療センターに運ばれたが、頭や胸を強く打っており、24日午前1時すぎ、死亡が確認された。

 遺体は、仕事先から駆け付けた父の菅原文太、母の文子さん(59)が同乗した寝台車に乗せられ、同日午後2時ごろ、同センターを出発。都内の加織さんの自宅ではなく、文太の岐阜県清見村の自宅に向かった。病院前には、多数の取材陣が集まったが、応対はなかった。

 事故を目撃した近所の男性によると、電車は急ブレーキをかけたが、間に合わなかった。加織さんは、はねられた場所から約20メートル先の線路上であおむけに倒れていた。えんじ色のシャツ姿で「顔からは血が流れていたが、警察の人はまだ息があると話していた」という。事故当時、加織さんは携帯電話で話をしていたという。「酒を飲んでいたようだ」という目撃者もいた。加織さんはお酒が好きで、強かったという。同署では、証言などから、下り電車に続けて上り電車が通過することに気付かずに踏切を渡ろうとして事故に遭ったとみている。線路近くで、壊れた携帯電話が発見されている。

 現場の踏切は、若者に人気の下北沢の商店街に続く道路にある。小田急線の下北沢駅からも数百メートルの距離だが、事故当時、踏切周辺の人通りは少なかった。

 加織さんは、当初は音楽のベーシストを目指したが、180センチの長身などを生かし俳優に転向。父がスターとなったヤクザ映画などに主に出演し、グレイシー柔術や合気道で心身を鍛えていた。

 ◆「開かずの踏切」 事故が起きた踏切は、近所の人の間では「開かずの踏切」として知られている。朝夕のラッシュ時を中心に、いったん遮断機が下りると、上り、下り電車がひっきりなしに通過する。近所の住人は「ここ数年で同じような事故が増えた。これまでにも2、3人が事故に遭っている」と話した。菅原さんは、携帯電話で通話しながら遮断機をまたぐところを目撃されているが「電話に気を取られていたか考え事をしていたかのどちらでは。視界を遮るものはないはず」と話した。

父文太、無言の対面

 自分の分身ともいえる長男加織さんの急逝に、父の俳優菅原文太(68)は嗚咽(おえつ)した。岐阜県清見村の文太の自宅に運ばれた加織さんの遺体を前に、1歩も動かず、最後の会話を交わした。ここ数年、加織さんの出演作品をプロデュースし、息子の成長を楽しみにしていた。父子の思い出の地、飛騨高山が悲しみに沈んだ。

 文太はその日、故郷の仙台市で仕事をしていた。深夜、ふ報が飛び込んだ。新幹線はもうない。ためらわずタクシーに飛び乗った。5時間かかった。24日早朝、加織さんと対面した。涙をこらえることだけで精いっぱいだった。

 文太は遺体を都内の加織さんの自宅ではなく、岐阜県清見村の自宅に運ぶことにした。妻文子さんとともに寝台車に乗り、加織さんと一緒に帰ってきた。地元の人によると、清見村の自宅は約20年前、体調が思わしくなかった加織さんのために別荘として購入したものという。約3年前、住民票を移し、自宅として住んでいた。スターとして忙しかった文太と加織さんが、普通の父と子として過ごした思い出の地だった。

 安置された加織さんの遺体を前に、文太はほとんど動けなかった。弔問に駆け付けた清見村の松岡法泉村長(71)は「沈痛な表情でした。声をかけようと思ったが、とてもかけられませんでした」と話した。自分より先に逝った息子の短い人生を悼んでいた。

 文太は子供の時、父親が戦地中国に赴いた。思い出がない。空白の時は、自ら父となった時の戸惑いを生んだ。加織さんの誕生をかつて「初めての分身だから、手探りの中で付き合ってきた」と話した。

 ヤクザ映画で一世を風びした文太は、過保護と言われようが、父として加織さんのバックアップを惜しまなかった。完成されることのなかった加織さん主演映画「蕾みし花」では、文太が製作総指揮を執った。岐阜県のある村を舞台にした作品で、加織さんのための映画だった。

 父は日本を代表する映画俳優。加織さんはかつて「オヤジはオヤジ、ぼくはぼく。菅原文太の息子は必ずついて回るし、反発も抵抗もありません。いいプレッシャーかな」と語った。親の“七光”を超えることは並大抵ではない。文太はだれよりも感じていた。もっと後押しをしてあげたかった。遺体の前で、文太は嗚咽していたという。

加織さん、来年の大河収録臨んだばかり…

 加織さんは来年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」で、唐沢寿明(38)演じる前田利家の弟の秀継役での出演が決まっていた。「徳川慶喜」「元禄■乱」に続く大河で、役どころも重くなってきていた。先月27日には、東京・渋谷の同局スタジオで最初の収録に臨んだばかり。NHKでは突然の悲報に驚くばかりで、代役などは白紙状態。

 一方、遺作となった映画「荒ぶる魂たち」(三池崇史監督、来春公開予定)は、加藤雅也(38)主演のヤクザ映画で、加藤演じる行動隊長の舎弟役。加織さんは今年、「実録 広島やくざ戦争〜完結編〜」「暗黒街」「修羅のみち」などのヤクザ映画に次々に出演。名作「仁義なき戦い」でスターとなった父菅原文太の後を継ぐような仕事ぶりだったという。「荒ぶる−」の関係者は「最高にパワーアップした演技を見せ、存在感を見せていた」と話した。同映画は東京国際映画祭に出品され、今月28日に加織さんも舞台あいさつに立つ予定だった。28日は追悼上映会となる。でいた。
 ■は、いとへんに僚のつくり

目の力強さにスターの予感

 事故の一報を聞いて「まさか」と衝撃を受けた。大きく開花しつつあった俳優菅原加織さんが鉄道事故死した。31歳という若さ。芸能史を振り返っても、電車にはねられ死亡したスターは記憶にない。

 加織さんにじっくりインタビューしたのは91年秋。加織さんが中学時代の同級生麻紀子さん(32)と恋を実らせ、結婚を決めた時だった。ショートカットにジージャン姿の加織さんは年齢以上に男っぽく、礼儀正しく、さわやかな受け答えが印象的だった。映画「仁義なき戦い」のロケ先で初めて会った父・菅原文太が口数が少なかったのとは対照的だった。父よりも背が高く、目の力強さにもスター誕生の予感を感じたものだ。

 加織さんはデビュー作は東宝の青春映画「恋する女たち」だが、その後は「仁義−JINGI−」「日本極道史」などで、父譲りの体を張った演技で役者として成長していった。だが、親の七光をさりげなく受け入れながら、加織さんは演技派への脱皮を狙い、最近はNHK大河に連続出演するなど確実にステップアップしていた。スターの座を目の前にしての事故死。有望な俳優を失った。 【編集委員・小林秀夫】

(写真=父子でインタビューを受ける菅原加織さん(手前)と菅原文太=94年5月25日)


◆菅原加織(すがわら・かおる)
 ◆菅原加織(すがわら・かおる=本名薫)。1970年(昭和45年)2月25日、俳優菅原文太の長男として東京に生まれる。埼玉・自由の森学園高1年在学中の86年、東宝映画「恋する女たち」で芸能界デビュー。日本テレビ「バラ」、NHK大河ドラマ「徳川慶喜」「元禄■乱」、舞台「愛・時をこえて」などに出演。個性派俳優として今年は4本の映画に出演、大映「荒ぶる魂たち」が遺作となった。180センチ、66キロ、血液型A。麻紀子さん(32)との間に1男1女がある。
 ■は、いとへんに僚のつくり
◆葬儀日程
▼通夜 25日午後6時から、岐阜県大野郡清見村牧ケ洞898の菅原文太の自宅で
▼葬儀・告別式 26日正午から同所で
▼喪主 父文太(ぶんた)さん



[訃報ページ]