「日本の女」を演じきった左幸子さん逝く演技派女優左幸子さん(ひだり・さちこ、本名額村幸子=ぬかむら・さちこ)が7日午後8時40分、肺がんのため東京都中央区の国立がんセンターで死去していたことが10日、分かった。71歳だった。この日、都内の自宅で妹で女優の左時枝(54)ら近親者のみによる葬儀が行われた。左さんは女優人生を通じ、娘役から老婆まで、変ぼうする女のさまざまな一生を、傑出した演技力で表現し続けた。左さんは今年1月、母せつさんの死去直後から体調を崩した。せき込むようになり、9月下旬に国立がんセンターに入院した。 87年に胃がん摘出手術を受け快方に向かったが、今回は病状が悪化するばかりだった。10月27日に容体が急変し危篤に陥った。強い生命力で10日間持ちこたえたが7日午後、親族に囲まれ、息を引き取った。 富山生まれの左さんは幼少時代、骨とう店経営の両親に隠れて旅芸人の一座を追い、芸の道にあこがれた。体育教師になる名目で上京、故杉村春子さんの舞台を見て感動し「日本の女を演じたい」と決めた。 52年にデビューし、次々と映画に出演した。夫の羽仁進監督(73)作品で自我に目覚める主婦を演じた「彼女と彼」と名作「にっぽん昆虫記」で、ベルリン国際映画祭主演女優賞を獲得した。娼婦役の「飢餓海峡」などでも数々の賞を得て、生涯「日本の女」を演じ続けた。 信念を曲げない女性だった。テレビの情報番組の司会を務めたが、番組中、沖縄国会強行採決を批判。スポンサーから「政治的発言は困る」と非難され、自ら降板した。「主婦は才能あるなしにかかわらずいつも陰に回される。男女差別をなくしたい」と、映画「遠い一本の道」を監督・主演で製作した。左さんの情熱に、当時の国鉄労働組合が1億円の資金を提供した。故田中絹代さんに次ぐ女優監督と話題になった。 56歳で胃の摘出手術を受け女優生命が危ぶまれたが、61歳の時、舞台「糸女」で復帰。生涯独身を通し家を守る女性の生きざまを演じ切った。その年ドラマにも出演したが、以後、女優左幸子が観客を沸かすことはなかった。 59年に当時岩波映画の記録映画監督の羽仁氏と結婚した。1人娘未央さん(37=エッセイスト)の教育問題をめぐり、17年間の結婚生活で離婚。羽仁さんは後に左さんの妹喜美子さん(58)と再婚した。女を演じ女として苦悩した人生は、映画以上の物語だった。 ◆自宅で密葬 JR目黒駅から徒歩10分ほどにある左さんの自宅には、密葬のため親族や親しい知人しか訪れなかった。午後6時すぎ、弟(二男)の哲史さん(59)が自宅から出て「姉は立派な人でした」と憔悴(しょうすい)した表情で話した。
自分貫き通した俳優三国連太郎(78)の話 映画「飢餓海峡」などでご一緒したが、役者としてあれほど正直で、仕事に純粋な方は、ほかに見たことがない。演出や、役についての人間解釈に納得がいかないと、相手が監督でもだれでも、徹底的に自分の意見を主張し議論する人だった。彼女の意見を聞くたびに、その意見も主張する自我の強さも「すごいなあ」と感心したことをよく覚えている。この世界は特に、自分に正直に生きることは難しいのに、彼女は自分を貫き通した。亡くなってしまうなんて早すぎる。もったいないことだ。
独立独歩で仕事映画監督の今村昌平さん(75)の話 自己主張の強い女優さんで、一時期、映画会社から嫌がられたこともあり、「にっぽん昆虫記」の主役に起用しようとした時、当時の日活の首脳部が嫌がったことを覚えている。強引に、独立独歩で仕事をしてきた人だった。普通、女優というのはなよなよしているものだが、彼女は女優になる以前は陸上の選手だったせいか、目標を定め必死に走る姿がランナーのようで、素晴らしい女優だった。何年か前に、北京で偶然会った時はとても元気だったのに残念だ。
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