訃報 安らかなご永眠をお祈りいたします

喜劇女優の清川虹子さんが89歳肺出血で死去

清川虹子さん  生涯現役を貫いた喜劇女優清川虹子さん(きよかわ・にじこ、本名関口はな=せきぐち・はな)が24日午前3時37分、肺出血のため川崎市の病院で死去した。89歳だった。98年に肝臓がんを発病してから入退院を繰り返していた。戦前から数多くの喜劇の名優と共演し、喜劇女優としてのプライドは人一倍高かった。一方で「楢山節考」「復讐するは我にあり」など名作映画で鬼気迫る演技も見せた。恋多き女で波瀾万丈の人生だったが、豪快かつ庶民的な人がらは多くの人に親しまれた。

 関係者によると、清川さんは肝臓がんを患って以来、何度も入退院を繰り返していた。今月3日に、下血などの影響で極度の貧血となり自宅で倒れ、緊急入院した。亡くなる前日の23日、見舞客には笑顔を絶やさぬ心遣いを見せたが、自力でタンが切れずに何度もせき込んで酸素マスクに血がにじむ状態だった。24日未明、親族に見守られながら静かに息を引き取った。

 遺体はこの日午前、葬儀・告別式の営まれる新横浜総合斎場に運ばれた。報道陣が多数駆けつけ、ワイドショーは生中継した。

 清川さんの女優人生は、喜劇にささげたものだった。エノケンこと榎本健一、伴淳三郎、徳川夢声ら、一世を風靡(ふうび)した喜劇の名優と共演。喜劇女優の先駆けとして、欠かせない存在となった。

 当時、喜劇女優は“格下”とみられ敬遠された。「日本の喜劇は、受け取る側がレベルを悲劇より下のものと思っている。だから若い女優さんが、なかなか三枚目をやりたがらないの。あたしはねえ、人が笑っているのを見るのがすきなの。だから喜劇を選んだの。コメディアンは多数いるけど、喜劇女優は今の日本に、あたし一人だけ」と言い切る強力な自負と自信を持ち合わせていた。

 恋多き女でもあった。「女は恋をしないとだめ」が口癖で、結婚は4度。56年には、日米合作の映画「八月十五夜の茶屋」で共演した名優マーロン・ブランド(78)とのロマンスも話題になった。東洋の神秘を体現したような清川さんの肉感的な魅力に、ブランドが一目ぼれしたものだった。

 豪快さでも群を抜いていた。42年に結婚した東宝社長の弟大沢清治氏が死去した際、当時の金額で1億円を超す遺産を残されたが「財産目当ての結婚ではなかった」と全額を寄付した。89年の参院選挙では「笑いのある老後実現のために、ジャンヌ・ダルクになる」と、国政を目指し立ち上がった。年金党を旗揚げし比例区で立候補したが、惜しくも落選した。

 83年に、カンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を獲得した映画「楢山節考」では70歳のヌードも披露した。左とん平(64)とのラブシーンも体当たりで演じ「初めておっぱいを見せたけど、なかなか良かったでしょ」と笑った。

 秋上映の映画「夜を賭けて」(シネカノン)が遺作となる。昨年秋に3カ月かけて韓国で撮影。戦後をたくましく生きる在日コリアンの女性を描く人情物語で、清川さんはそのオモニ(お母さん)役を演じた。喜劇もシリアスも見事に演じる清川さんの女優人生が凝縮された作品となった。

 戦前、戦後を通じ、日本中に笑顔を届けた。かつて「死ぬことは怖くない。あの世には、最高の映画ができる素晴らしい役者さんがそろっているから」と話した。日本に1人と自負した、喜劇女優が逝った。


◆清川虹子さんの代表映画◆ ※はシリーズ
題 名共演者役 柄
これは失礼36横山エンタツ、花菱アチャコ魚屋の女房
見世物王国37古川緑波八公の女房おたけ
エノケンのホームラン王48榎本健一エノケンの宿敵の魚屋の娘
サザエさん※56江利チエミ、藤原釜足サザエの母、舟
女侠一代58山田五十鈴、森繁久弥筑豊炭田の女組長どてら婆さん
極道※68若山富三郎極道親分の女房、島村みね子
緋牡丹博徒※68藤純子女親分のお神楽のおたか
喜劇 女は度胸69渥美清、河原崎建三渥美・河原崎兄弟の母親
復讐するは我にあり79小川真由美、緒方拳ヒロイン旅館のおかみの母親
楢山節考83緒方拳現役バリバリのおかね婆さん


◆葬儀日程
 ▼通夜 5月26日午後6時から、横浜市港北区新横浜1の7の5、新横浜総合斎場で
 ▼葬儀・告別式 5月27日午前11時から、同所で
 ▼葬儀委員長 川上宜延(よしのぶ)さん(サンプロジェクト代表)
 ▼喪主 孫の関口建(けん)さん


森繁久弥がっくり「夢のようです」

 俳優森繁久弥(89)がまた1人、盟友を送り出すことになってしまった。今月19日にも落語家柳家小さんさん(享年87)の葬儀に出席したばかり。訃報(ふほう)にがっくりと肩を落としていたという。森繁は書面を通じ「私の家のそばに、大きなお宅を構えて楽しく暮らしておられたことも夢のようです…一世を風びした女優さんですが、ご他界とはまるで、夢のようです」とコメントを寄せた。



鶴太郎が追悼番組

 タレント片岡鶴太郎(47)が、25日放送の文化放送「片岡鶴太郎の土曜日は鶴日和」(午前8時)で、清川さんを追悼する。清川さんの最後のラジオ出演となった2月23日の同番組の収録テープを紹介しながら、故人の思い出を語る。鶴太郎は清川さんの芸にあこがれ、高校卒業と同時に弟子入りを志願しにいったエピソードがある。弟子入りはかなわなかったが、十数年後、テレビ番組での共演をきっかけに交流を深めていったという。鶴太郎は清川さんを「心の師匠」と慕っていた。


◆清川虹子さんアラカルト◆
 ▼本名 関口はな。
 ▼誕生 1912年(大正元年)11月24日、千葉県松戸市生まれ。家業はげた製造業。
 ▼学歴 24年に神田の淡路小を卒業、教師になれという親の勧めで神田高女に入学したが女優を志して3年で中退。
 ▼喜劇女優 28年に川上貞奴の児童劇団に入団。翌年に山村聡の新劇に移り、清川虹子の芸名に。その後、浅草の軽演劇で榎本健一、伴淳三郎、古川緑波らの相手役を務め、喜劇女優の先駆者になる。
 ▼映画進出 34年に東宝の前身P・C・L製作「只野凡児・人生勉強」で映画初出演。同社の専属女優となり横山エンタツ、花菱アチャコ、柳家金語楼らと共演。戦後は48年の新東宝「愛情診断書」から活動開始、56年から全9作に出演の東宝「サザエさん」の母親役や東映「緋牡丹博徒」シリーズで活躍。今村昌平作品の79年「復讐するは我にあり」、83年「楢山節考」の演技は絶賛された。
 ▼結婚 28年に俳優中条金之助と結婚、長男をもうけるが離婚。その後、活動弁士生駒雷遊と再婚、二男を生むが離婚。42年に東宝社長の弟大沢清治と結婚、芸能界を引退したが47年に死別。52年に伴淳三郎と4度目の結婚をするが、浮気が原因で59年に離婚。
 ▼著作 江利チエミとの死別などをつづった自伝「恋して泣いて芝居して」を83年に、エッセー「みんな死んじゃった」を00年に出版。
 ▼表彰 87年に芸団協芸能功労者として表彰、90年に勲四等瑞宝章を受章し「いつも大衆の中にいた。国民にお礼を言いたい」。


映画に必要な個性

 今村昌平監督(75) 残念です。清川さんは素晴らしい人。あれだけ個性的な人は珍しく、私の映画になくてはならなかった。5月10日にクランクインした短編映画で、最初のシーンから清川さんに出演してもらう予定だったがかなわなかった。21日に撮影所へ電話があり「死なないよう、頑張ります」とか細い声で言うので「頑張れよ、ばあさん」と励ましたのだが…。俳優がどんどん減っていくのでしんどい。

 女優浅香光代(71) 清川のママとは40年来の付き合い。実は昨日、主人の世志凡太(せし・ぼんた=68)と「あれだけの喜劇女優はもう出ないわよね」なんて、ママの話をしていたんですよ。虫の知らせだったんでしょうね。

 俳優木之元亮(50) 6年前に共演して以来、親しくさせていただきました。23日に病院にお見舞いに行ったら「仕事はどうしたの」と逆に心配されてしまいました。私の手を握り、何度も「ありがとう、ありがとう」と繰り返していたのが印象に残っています。

 近鉄梨田昌孝監督 監督に就任した時に『優勝するまで死ねんわ』という話をしていただいたことがあります。昨年、日本シリーズで敗れた直後、電話をいただいて『まだ日本一も残っているし、元気を出しなさい』と励ましていただいたこともあります。非常に残念です。


自分のことより「チーちゃん」

 「芸能界のゴッドマザー」と呼ばれた清川虹子さんが亡くなった。4度の結婚・離婚など、笑いを振りまく喜劇女優も波乱人生だった。プライベートな取材も多かったが、ふくよかな笑顔で親近感を抱かせ、リップ・サービスも心得た、愛すべきスターだった。

 「サザエさん」で母娘を演じた故江利チエミさん(享年45)とは「ママ」「チーちゃん」と呼び合い、その仲の良さは有名だった。自分のことより、チエミさんの話題を口にすることも多かった。82年2月、チエミさん急死の悲劇が起きた。何とかコメントを、と出演先の新宿コマ劇場や港区のチエミさんのマンションに張り付いた。憔悴(しょうすい)し切った表情で記者の前に現れた清川さんは「ウソよね、こんなこと…」と口にした。ギリギリの局面でも、当方を思いやる懐の深さに胸が熱くなったものだ。

 チエミさんを失い、清川さんの部屋はチエミさんの写真や遺品で埋まった。チエミさんの死因はすしをのどにつまらせたもので、清川さんはブランデーを牛乳で割る飲み方を教えたことを悔いたこともあった。

 最後まで女優復帰へ命を燃やし、力尽きたが、チエミさんと再会し、話に花を咲かせることだろう。【編集委員 小林秀夫】


 ◆デスクから◆ つい先日、落語界初の人間国宝の柳家小さんさんが亡くなったばかりなのに、今度は日本の喜劇女優の先駆けの清川さんが亡くなった。「笑い」の文化が、なくなっていくような気がする


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