東北福祉大の伊藤監督が死去
大学野球の名門、東北福祉大野球部の伊藤義博(いとう・よしひろ)監督が1日午前0時2分、呼吸不全のため宮城県白石市の病院で死去した。56歳だった。 マリナーズ佐々木をはじめ多くのプロ野球選手を輩出してきた東北球界の功労者も、病魔には勝てなかった。家族や教え子らにみとられて静かに息を引き取った。恩師のもとに駆けつけた前西武の大塚光二氏(34)は「意識はなかったけど最後に目を開けてくれました。教え子全員の気持ちで監督を送り出したいと思います」と話した。 福祉大の躍進は伊藤監督の人生そのものだった。就任は84年。「僕はスカウトみたいなもの。1年中全国を歩き回ってますよ」。有望な高校球児はプロ入りか有名大学へ進学する。それでも逸材を発掘し、不毛だった東北の大学野球をレベルアップさせた。仙台6大学リーグではギネス級の118連勝を記録。「全国で認めてもらうために東都や東京6大学に負けたらダメ」と、91年には広島金本、横浜斎藤、ヤクルト浜名らを擁して悲願の全日本大学選手権初優勝。「東北に福祉大あり」と全国区に押し上げた。89年上岡(日本ハム)から、これまでに29人のプロ選手を育て、現在も10球団に教え子が在籍する。国内外チームに施設を提供するなど球界に大きく貢献した。
ここ数年は体調不良を訴え、00年10月には肝臓がんの摘出手術を受けた。同年12月に1度は現場復帰したが、今春から療養に努めていた。大塚氏らを中心に今秋にはOBが仙台に集まって伊藤監督を励ますチャリティーイベントも検討されていた矢先の訃報(ふほう)だった。
◆西武伊原監督(芝浦工大時代の後輩) 自分が大学に入学してから公私共にお世話になりました。福祉大を強くしたのも伊藤さんの力があったからだと思います。残念です。 ◆広島金本 本当にビックリしました。5月、見舞いに行ったら元気そうでした。「食事に行こうか」とか話していたぐらいです。よく飲んだりしましたよ。「親元に戻ったほうがいいから」とカープをすすめてくれたんです。 ◆阪神矢野 高校の時からメチャクチャお世話になりました。仲人もしてもらいましたし。選手の目線に立って、指導されていました。オフになったら、みんなで会いに行こうと話していた。 ◆西武和田 遠い世界だと思っていたプロ野球を意識させてくれたのが、伊藤監督でした。悲しいです。
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