高円宮さま47歳急逝…スカッシュ中倒れる
高円宮憲仁(たかまどのみや・のりひと)さまが21日午後10時52分、心室細動のため逝去された。47歳だった。宮内庁によると、同日午後3時50分すぎ、東京・港区のカナダ大使館でスポーツ中に倒れ、新宿区の慶応病院に搬送されたが心肺停止の状態で、懸命な蘇生(そせい)措置が続いていた。高円宮さまは天皇陛下のいとこで皇位継承権第7位。日本サッカー協会の名誉総裁を務め今年5月には皇族として戦後初めて韓国を公式訪問した。
宮内庁によると、高円宮さまは午後3時ごろ、1人でカナダ大使館を訪れ、駐日大使とコーチと3人でスカッシュを楽しんでいた。コーチのレッスンを受けていた午後3時50分ごろ、屋内コート上で突然倒れた。 慶応病院の発表では、救急車で同病院に運ばれた際、呼吸なし、脈拍触れず、瞳孔も対光反射なしという心肺機能停止状態だったという。集中治療室(ICU)で心臓マッサージや人工心肺装置をつけ、蘇生術が施され、懸命の治療が続いていた。意識は戻らないままで、一時は心拍が回復したが、夜になり容体が悪化した。 妻の久子さま(49)や母の三笠宮妃百合子さま(79)ら皇族方は、突然の訃報(ふほう)に深い悲しみに包まれた。父三笠宮さまも入院中の聖路加病院を出て駆け付けられた。 高円宮さまは日本スカッシュ協会の名誉総裁も務め、月に2回ほどカナダ大使とスカッシュを楽しんでいたという。 18、19日は長野市を訪れ、地球環境について意見交換する会議に出席し、20日も皇居・宮殿で天皇陛下とともに検事総長らとの昼食会に出席、公務を普段通りこなされていた。 今年5月末から6月初めにかけW杯で久子さまとともに韓国を公式訪問し、日韓友好でも活躍が期待されていた。「サッカーの宮さま」として知られ、スポーツ界を中心に気さくな人柄で愛された。久子さまとの間に承子さま(16)典子さま(14)絢子さま(12)の3人のお子さまがいる。
3分で脳死が始まる心室細動慶応病院の医師団の会見によると、高円宮さまは運動後、心室細動を起こしたとみられるという。心室細動は心臓の拍動数が急激に増え、心室が細かく波打つ状態。治療にあたった救急部長は「重症の不整脈が激しい運動により起こった」と話した。心室細動が起こると、1分間の拍動は300〜600回になるといわれる。心臓から血液が出されないため、すぐに意識を失い、3分で脳死が始まるともいわれる。同病院によると、救急隊がカナダ大使館に到着したとき意識、呼吸はなく、心室細動が確認された。電気的ショックを与えたが、病院に到着時には脈、血圧は測定不能で、体温は35度だった。心室細動の治療は、原因となる部分を焼く「カテーテル焼灼(しゃく)術」などがある。
久子さま承諾得て心肺装置外す宮内庁によると、高円宮さまの死去は慶応病院の医師が妻久子さまの承諾を得た上で人工心肺装置を外し、その結果、生命反応がなかったため確認された。高円宮さまは病院搬送時に既に心肺停止状態。心臓マッサージや人工心肺装置で、一時的に心拍機能が回復したものの、再び機能停止の状態が続いた。 夜になって、担当医が装置を外した状態で生命反応があるかどうかを調べる必要があると判断した。久子さまは、装置を外しても反応がない場合は死亡確認がなされるとの説明を承諾された。
サッカー通じ日韓交流
高円宮さまはスポーツ好きで知られ、日本サッカー協会、日本ホッケー協会など数多くの競技団体の名誉総裁を務められていた。また、豊富な国際感覚と多彩な趣味、気さくな人柄で人々から親しまれた。皇太子ご夫妻の「キューピッド役」でもあった。
高円宮さまは今年5月には、日本と韓国が共同開催したサッカーのW杯開会式に出席するため、皇族として戦後初めて韓国を公式訪問、新たな日韓関係の懸け橋役だった。 形式上、韓国政府の招請に応じた訪韓だったが、日本サッカー協会名誉総裁として、サッカー文化の普及や交流に携わってきた高円宮さま自身が、早くから出席を希望していた。 W杯で6月4日の日本−ベルギー戦を観戦された時には、点の取り合いに立ち上がってガッツポーズもされた。静岡・袋井市で合宿中の日本代表を激励にも訪れている。 自らもW杯組織委員会(JAWOC)と国際サッカー連盟(FIFA)の親善試合や、今年9月のよさこい高知国体での親善試合にも出場されていた。 また、皇太子さまと雅子さまが親しくなるきっかけをつくった「キューピッド役」としても知られた。 87年、皇太子さまが当時、外務省に勤務していた雅子さまと3度目に出会ったのは高円宮邸だった。高円宮さまが「海外経験という共通点があり、話が合うと思って」とセット。お酒も入って深夜まで話が弾み、2人が親しくなる大きな契機となった。 気さくな人柄や多彩な趣味、豊かな国際感覚の持ち主だった。学習院大卒業後、カナダのクイーンズ大に3年間留学。お妃(きさき)の久子さまも英国の大学への留学経験がある国際派で、高円宮さまが「ウィル・ユー・マリー・ミー(結婚してください)」と、英語でプロポーズしたというエピソードが残っている。 学習院高等科時代には写真部に所属。訪問先の外国で動物や風景の写真を撮り集め、都内で個展も開いた。印ろうやたばこ入れの端に付ける装飾品の根付(ねつけ)の愛好家でもあった。オペラやバレエ、歌舞伎など舞台芸術への造詣も深かった。 20年間に訪問した国は35カ国。今でも必ず2台の一眼レフカメラを持っていった。「偶然の出会いがうれしい。だからカメラを持っていく」といつも話していた。 (写真=00年11月28日 高円宮さまはトヨタ杯のハーフタイムにトルシエ監督(中央)岡野会長(当時)と記念撮影)
Jリーグ黙とうJリーグ鈴木昌チェアマン(66)は23、24日開催のJリーグ公式戦前に、高円宮殿下の急逝を悼んで黙とうをささげる方針を明らかにした。明日23日にJ1第2ステージ第14節が6試合、そして続く24日にも同2試合、J2リーグ最終節6試合が行われる。高円宮さまの急変を仕事先の名古屋で知らされた。「サッカーの話になると口調に熱がこもってましたな。以前に2日間で6時間以上もサッカー談議をさせていただいたこともあった。あれだけ健康な方だったのに残念です」と話した。また、Jリーグ発足時には「当時、私は鹿島の社長でしたが、Jの最初の試合は鹿島に来てくれた。ほかのクラブには申し訳ないが、鹿島とジーコがお気に入りで、娘さんにユニホームをプレゼントしたら本当に喜んでくれた」と話した。
「我々の誇り」川淵キャプテン涙日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(会長=65)は突然の訃報(ふほう)に涙を浮かべた。高円宮さまは同協会名誉総裁だったが、川淵氏を「ブチさん」と呼び、単なる肩書だけではない、深い信頼関係で結ばれた。川淵氏は日本代表の新監督を決める際にも真っ先に「今度はジーコ監督にします」と報告した。実際にサッカーの試合を行ったことも数々。今秋の高知国体では、センターFWとして得点も決められた。「殿下は日本のサッカーの誇りであり、自慢の名誉総裁でありました。英語もスペイン語もぺらぺらで、格好もいいから、我々の誇りでした。残念でたまりません」。沈痛な面もちで話した川淵氏は「06年W杯でベスト16以上の成績を上げることが殿下への恩返しと思います」とドイツ大会での躍進を誓っていた。
JOC会長「まだまだお若いのに」高円宮さま逝去の急報を受けた日本オリンピック委員会(JOC)は21日、国際競技連盟連合(GAISF)総会出席のため米コロラド州に滞在中の竹田恒和会長への連絡など対応に追われた。高円宮さまと竹田会長とは親せき関係にある。JOCの川杉収二事務局次長は「竹田会長の緊急帰国を含め、対応を検討したい。来年2月の青森アジア大会についても、出席をお願いしようと考えていたのだが」と心配そうに話していたが、深夜の訃報(ふほう)に肩を落とした。竹田会長は「スポーツに関心を持たれ、造詣も深かった。まだお若いし、これからますます活躍されると期待していただけに、残念です」とコメントした。 高円宮さまが名誉総裁を務めていた日本サッカー協会の東京都内の事務局では、午後8時すぎにいったん職員は帰宅した。スペイン語ができ、南米サッカー連盟と日本サッカー協会との関係緊密化では側面から協会を支えた名誉総裁への信頼は厚かっただけに、一様に落胆は大きい。
関係者悲しみの声 元宮内庁担当記者の橋本大二郎高知県知事 突然のことで大変驚いている。高知には今年、4月にご自身の写真展、9月の夏季国体、11月の全国障害者スポーツ大会と3回も来県され、スポーツマンらしい気さくな人柄で本当に親しく接していただいた。とても悲しく残念でならない。心からごめい福をお祈りする。 高円宮さまと親交の深かった松山バレエ団のプリマバレリーナ森下洋子団長(53) 本当にびっくりしました。考えてもいなかったので… 25年以上ご声援をいただき先日も「ずっと踊り続けてください」とお励ましを頂きました。そのお言葉を胸に、踊っていきたいと思います。 公私で付き合いの深かった作曲家の三枝成彰さん 科学や芸術など、幅広い知識を持つ聡明(そうめい)な一面がありながら、人間的にも気さくで魅力的な方だった。突然亡くなってしまうとは信じられない。最後に会ったのは2週間前で、久子さまの両親の金婚式に呼ばれた時。1カ月前、朝まで酒を飲みながら語り明かしたのが、最後の思い出になってしまった。本当に惜しい方を亡くした。
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