![]() 安らかなご永眠をお祈りいたします 【紙面から】
【3月】
俳人で、東京・銀座の小料理屋「卯波(うなみ)」のおかみとしても親しまれた鈴木真砂女(すずき・まさじょ、本名まさ)さんが14日午後6時34分、老衰のため東京都江戸川区の老人保健施設で死去した。96歳。千葉県出身。自宅は東京都中央区晴海1の6の6の1003。葬儀・告別式の日取りは未定。喪主は長女で文学座女優の本山可久子(もとやま・かくこ)さん。 房総の老舗旅館に生まれた。日本女子商業(現・嘉悦学園)卒。俳句は30歳の時、姉の遺句集作りをきっかけに、本格的に始めた。戦後、久保田万太郎に認められて句誌「春燈」に参加。後に安住敦に師事した。 夫の蒸発、再婚、出奔と、起伏の激しい人生を経験。さらに1957年に上京し、小料理屋「卯波」の切り盛りを始めてからは、食材の季節感や生活感あふれる句をよく詠んだ。代表句に「羅(うすもの)や人悲します恋をして」など。 76年、句集「夕蛍」で俳人協会賞、95年「都鳥」で読売文学賞、99年「紫木蓮」で蛇笏賞。著書に「お稲荷さんの路地」など。
吉川嘉造氏(よしかわ・よしぞう=日本高野連常任理事)が13日午前11時29分、低酸素性脳障害のため和歌山市の病院で死去、72歳。和歌山市出身。自宅は和歌山県下津町小松原22の1。葬儀・告別式は16日正午から和歌山市塩屋1の4の30、和歌山アスタで。喪主は長男直義(なおよし)氏。
下村一夫氏(しもむら・かずお=映画照明技師、前日本映画テレビ照明協会会長、本名一雄=かずお)10日午前0時、急性心筋こうそくのため滞在先の島根県大田市のホテルで死去、82歳。横浜市出身。自宅は埼玉県川口市中青木1の1の34の304。葬儀・告別式は13日正午から東京都荒川区西日暮里3の1の3、本行寺で。喪主は妻幸子(さちこ)さん。市川崑監督や岡崎宏三撮影監督らと長くコンビを組み、「あヽ野麦峠」「ビルマの竪琴」「かあちゃん」など数多くの映画の照明を担当した。
原啓次郎氏(はら・けいじろう=財団法人大蔵財務協会常務理事、税のしるべ総局長) 10日、呼吸不全のため死去、73歳。通夜は密葬で、告別式は19日午後1時から東京都港区芝公園4の7の35、増上寺光摂殿で。喪主は長男徹(とおる)氏。自宅は東京都渋谷区神宮前3の31の17。49年創刊の週刊「税のしるべ」の「育ての親」で正しい税知識の普及に情熱を傾けた。
矢頭高雄氏(やとう・たかお=元プロ野球大毎外野手)9日午後2時、肝細胞がんのため東京都千代田区の病院で死去、68歳。山梨県出身。自宅は公表していない。通夜は11日午後6時から東京都中野区中央2の33の3、宝仙寺で。葬儀・告別式は12日午前11時から同所で。喪主は妻正江(まさえ)さん。立大から57年にプロ入り。大毎(現ロッテ)などで外野手として活躍し1240試合に出場し、打率2割4分8厘、61本塁打、313打点。現役引退後はロッテ、日本ハムでコーチを務めた。
直木賞、吉川英治文学賞、菊池寛賞などを受賞した作家の黒岩重吾氏(くろいわ・じゅうご)が7日午後1時20分、肝不全のため兵庫県西宮市の病院で死去した。79歳。大阪市出身。自宅は西宮市苦楽園四番町13の4。葬儀・告別式は11日午後0時半から、西宮市城ケ堀町1の40、公益社西宮山手会館で。喪主は妻秀子(ひでこ)さん。 61年、大阪・あいりん地区(釜ケ崎)の診療所を舞台にした「背徳のメス」で直木賞を受賞。一方で戦中、戦後の体験を反映した作品や、風俗性の強い「西成山王ホテル」などでも多くの読者を獲得した。80年には壬申の乱を背景にした「天の川の太陽」で吉川英治文学賞を受賞。額田王を描いた「茜に燃ゆ」や「白鳥の王子 ヤマトタケル」などの歴史小説を発表した。91年、紫綬褒章、92年には菊池寛賞を受賞。
長尾正士氏(ながお・まさし=ジャズ演奏家)5日午後1時29分、心不全のため横浜市港北区の病院で死去、90歳。東京都出身。自宅は横浜市港北区日吉本町1の28の3。葬儀・告別式は8日午後1時から東京都千代田区富士見2の10の38、富士見町教会で。喪主は長男崇(たかし)氏。戦前からアルトサックス奏者としてジャズバンドを結成、自動車会社勤務のかたわら演奏活動を続けた。
ミホシンザンを手がけた元調教師の田中朋次郎氏(たなか・ともじろう=元日本調教師会会長)が4日午後8時45分、急性心不全のため千葉県松戸市の病院で死去した、89歳だった。これまでミホシンザンで1985年(昭和60年)の皐月賞、菊花賞や87年の天皇賞(春)などを制した。群馬県出身。自宅は松戸市松戸1394。葬儀・告別式は6日午後1時半から松戸市松戸1112、ライフケア松戸会堂で。喪主は長男利泰(としやす)氏。
大沢真氏(おおさわ・まこと=元日本中央競馬会調教師)1日午後7時、肺炎のため大津市の病院で死去、70歳。横浜市出身。自宅は滋賀県栗東市小野223の107。葬儀・告別式は4日午前10時から滋賀県草津市西渋川1の2の4、草津シティーホールで。喪主は長女諏訪敬子(すわ・けいこ)さん。 調教師として、94年にマーベラスクラウンでジャパンカップ、97年にマーベラスサンデーで宝塚記念を勝つなど437勝(うち重賞12勝)を挙げた。
【2月】
井上瑤さん(いのうえ・よう=声優)2月28日午前9時29分、肺水しゅのため東京都目黒区の病院で死去、56歳。東京都出身。自宅は公表していない。葬儀・告別式は6日、近親者のみで行う。喪主は弟漆川哲(しつかわ・さとし)氏。アニメ「機動戦士ガンダム」の「セイラ・マス」役のほか、「うる星やつら」などのアニメや海外ドラマの吹き替えで活躍した。
荒木尚志氏(あらき・なおし=元日劇ミュージックホール・プロデューサー)2月28日午後3時34分、すい臓がんのため、都内の病院で死去、58歳。通夜は4日午後6時30分から、告別式は5日午前11時から、ともに東京都大田区池上6の32の10の徳持寺で。喪主は妻信子(のぶこ)さん。自宅は大田区池上6の15の12。東宝演劇部の制作担当、旧東京宝塚劇場支配人などを歴任した。
ユーモアを漂わせた鉄道紀行文で知られた作家の宮脇俊三(みやわき・しゅんぞう)氏が2月26日午前8時3分、肺炎のため東京都港区の病院で死去した。76歳。埼玉県出身。自宅は未公表。連絡先は東京都新宿区矢来町71、新潮社出版部。故人の遺志により近親者のみで密葬を行った。喪主は妻まちさん。東大文学部卒。雑誌「中央公論」編集長などを務めて、78年に紀行作家に転身した。鉄道好きで、その体験をつづった「時刻表2万キロ」は日本ノンフィクション賞などを受賞、ベストセラーになった。99年に菊池寛賞。
ヤクルト本社前社長でヤクルト球団のオーナーを務めた桑原潤氏(くわはら・じゅん)が26日午後2時24分、肝不全のため東京都渋谷区の自宅で死去した。72歳。熊本県出身。葬儀・告別式は3月1日午前10時半から東京都文京区大塚5の40の1、護国寺桂昌殿で。喪主は妻和子(かずこ)さん。 88年4月から同社社長、96年6月から会長。98年に同社がデリバティブ(金融派生商品)取引など財テクの失敗で損失を出したため引責辞任した。球団オーナーは91年3月から98年6月まで務め、この間、ヤクルトはセ・リーグで4回優勝、うち3回日本一になった。
御喜正氏(みき・ただし=元日本ソフトボール協会専務理事)25日午後0時48分、急性心不全のため東京都内の病院で死去、77歳。山口県出身。自宅は東京都江東区大島8の39の22の1409。葬儀・告別式は3月2日午前10時から東京都台東区上野公園14の5、上野寛永寺輪王殿で。喪主は妻晶子(あきこ)さん。
柏木敏夫氏(かしわぎ・としお=元セ・リーグ審判部副部長)25日午前9時38分、すい臓がんのため、兵庫・明石市民病院で死去した。71歳。兵庫県出身。1959年(昭34)から31年間、セ・リーグ審判員を務め、3042試合に出場した。通夜は26日午後6時、葬儀・告別式は27日午後1時から、明石市東仲野町4の25、ふれあい会館にて。喪主は長男・政哉(まさや)さん。自宅は明石市山下町2の11。
成田空港問題で国と反対派の間に立ち、対決から和解への路線を築いた東大名誉教授、隅谷三喜男氏(すみや・みきお)が22日午前9時5分、多臓器不全のため東京都新宿区の病院で死去した。86歳。東京都出身。自宅は東京都世田谷区代田4の34の12。葬儀は密葬として25日に近親者だけで行う。告別式は3月1日午後1時から東京都杉並区善福寺2の6の1、東京女子大講堂で。喪主は妻優子(ゆうこ)さん。
小林政敏氏(こばやし・まさとし=札幌五輪リュージュ代表、北海道ボブスレー・リュージュ連盟常任理事)20日午後7時20分、心筋梗塞(こうそく)のため北海道女満別町の病院で死去、54歳。新潟県出身。自宅は札幌市南区藤野419の1。葬儀・告別式は23日午前10時から札幌市南区藤野2条9丁目5の1、含笑寺で。喪主は妻優子(ゆうこ)さん。 72年、札幌五輪のリュージュ2人乗りに荒井理選手と出場し、4位に入賞した。妻の優子さんは札幌五輪女子1人乗りで5位入賞、長女の由美恵さんも長野五輪、ソルトレークシティー五輪のリュージュ女子に出場した。
佐久間義明氏(さくま・よしあき=五木プロモーション顧問)14日午前2時5分、すい臓がんのため東京・新宿の東京女子医大で死去、67歳。通夜は17日午後6時から、告別式は18日午前11時から、ともに東京都新宿区須賀町14の1、たちばな会館で。喪主は妻多美江(たみえ)さん。葬儀委員長は西川幸男新栄プロダクション会長、友人代表は五木ひろし。
峠の釜めしで知られる弁当製造「峠の釜めし本舗 おぎのやグループ」(群馬県松井田町)社長、高見沢忠顕氏(たかみざわ・ただあき=61)が、11日に視察研修先のサイパンで死去したことが14日、分かった。 同社によると、高見沢氏は日本経営合理化協会社長研修会の海外視察でサイパンに出掛けた。11日の研修終了後にスキューバダイビングに出掛けたまま戻らないため、同行した参加者が警察に連絡。現地時間の同日午後5時ごろ海中で発見され、病院に運ばれたが、死亡したという。 通夜、葬儀は近親者だけで執り行い、社葬を3月に行う予定。高見沢氏は兵庫県出身。
60年ローマ五輪マラソン代表だった貞永信義氏(さだなが・のぶよし)が11日午後5時21分、急性心臓死のため山口県防府市の病院で死去した。74歳だった。葬儀の日取りなどは未定。君原健二が銀メダルを獲得した68年のメキシコ五輪の陸上競技コーチを務めたほか、カネボウ陸上部監督として伊藤国光らを育てた。現役引退後も、月までの距離約38万キロを目標に走り続けていた。
中村文彦氏(なかむら・ふみひこ=西部日刊スポーツ新聞社相談役、前社長)5日午後11時3分、心筋梗塞(こうそく)のため福岡市の病院で死去、葬儀は近親者のみで済ませた。71歳。54年朝日新聞社入社。西部本社営業局長を経て、89年6月西部日刊スポーツ新聞社社長に就任。99年6月まで同社社長を務めた。
宮下富実夫氏(みやした・ふみお=音楽家、本名文夫=ふみお)6日午前2時26分、肺がんのため長野市の病院で死去、54歳。葬儀・告別式は9日午後2時から長野市七瀬南部、中央安楽院で。喪主は妻リンダさん。70年代にロックグループ「ファーイーストファミリーバンド」のリーダーとして、喜多郎らとともに活躍。移住した米国でヒーリング音楽に関心を持ち、帰国後、売り上げ60万枚の「瞑想」など多くの作品を発表。映画「天河伝説殺人事件」の音楽を担当した。
大倉芳郎氏(おおくら・よしろう=作詞家、本名鈴木芳一=すずき・よしかず)5日午前9時、前立腺がんのため東京都内の病院で死去、87歳。葬儀・告別式は11日午前11時から東京都渋谷区西原、代々幡斎場で。喪主は妻鈴木美和子(すずき・みわこ)さん。代表作に伊藤久男さんの「山の煙」や春日八郎さんの「赤いランプの終列車」など。
メキシコ五輪サッカーで銅メダルを獲得した日本代表のメンバー、湯口栄蔵氏(ゆぐち・えいぞう)が、2日午後11時54分、奈良市内の病院で亡くなっていたことが分かった。57歳だった。葬儀・告別式は4日に行われた。 湯口氏は大阪市出身で、関大を卒業後、ヤンマーでプレー。MFとして頭角を現し、メキシコ五輪の日本代表メンバーに入った。控えのMFだったが、1次リーグ第3戦のスペイン戦に0−0の後半30分から出場。決勝トーナメント準々決勝で地元メキシコとの対戦を避けるため「このまま引き分けろ」という長沼健監督の指示をメンバーに伝えた選手として知られている。同試合を含め、国際Aマッチ5試合に出場し、1得点を挙げている。 引退後は近大の監督を務めるなどしたが、昨年から体調を崩し療養していた。メキシコ五輪メンバーでは、昨年5月に死去した宮本征勝氏(享年63)に続いて4人目の物故者になった。
秋月信義氏(あきづき・のぶよし=大相撲元十両森ノ里)5日午前8時3分、急性大動脈りゅう解離のため東京都目黒区の病院で死去、79歳。北海道出身。自宅は東京都世田谷区鎌田2の20の3。葬儀・告別式は11日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は長男一城(かずき)氏。高砂部屋に入門し、40年春場所初土俵。相撲甚句の名人として知られ、57年春場所限りで引退した。最高位は東十両10枚目。
小山清光さん(こやま・きよみつ=浦和競馬所属の調教師)3日午前6時35分にさいたま市上野田のきゅう舎内でくも膜下出血のため死去。56歳。通夜は5日午後6時30分、告別式は6日午前9時30分から、さいたま市深作934の1、東大宮葬祭センターで。自宅は岩槻市仲町1の3の5。喪主は妻の千枝実(ちえみ)さん。通算成績は3839戦395勝。
丹羽幸一氏(にわ・こういち=医療ジャーナリスト)2日午前2時すぎ、心筋こうそくのため東京都品川区の病院で死去、76歳。福島県出身。自宅は東京都世田谷区玉川田園調布1の5の9の403。葬儀・告別式は9日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は妻博子(ひろこ)さん。 福島民友新聞、東京タイムズの記者などを経てフリー。米ハーバード大で医療の質を分析、評価する医療判断学を研究。著書「病院ランキング」シリーズはベストセラー。日刊スポーツでも医療連載記事を執筆した。
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