再開発が続くビコッカ・エリア
再開発が続くビコッカ・エリア

広大なピレリ工場跡地

 1997年にミラノに住み始めた頃のこと。モンツァにあるミラノ・ゴルフクラブに行くときにいつも友人の車に乗せてもらってフルビオ・テスティ通りを北上すると道沿いに広大な空き地が広がるエリアがあった。ミラノの町の切れ目に、それは忽然と現れ、行けども行けども空き地という感じだった。

 「これはタイヤのピレリの工場跡だよ。ビコッカというエリアだ。今、大学を作っているそうだよ」

 友人はそう教えてくれた。

 1950年代からF1への供給でも知られた世界的なイタリアのタイヤメーカー、ピレリが20世紀初頭にこの地に巨大な工場を建てた。ピレリを中心に最盛期にはこのエリアでは20万人もの労働者が働いていた。しかし、80年代、ピレリが海外に工場を移転したのをきっかけにビコッカ地区は衰退したという。

元ピレリの工場跡に建つビコッカ大学
元ピレリの工場跡に建つビコッカ大学

あれから20年…大学が建った

 あれから20年、1997年生まれのアンドレア君は日本のコミックやアニメで育ち、空手に興味を持ち、僕の家に日本語を習いに来ている。「10年ひと昔」というけれど、日本に比べて物事の変化の速度がゆるやかなイタリアでは20年ひと昔という感じだ。

 そのアンドレア君が通っているのは、ミラノ・ビコッカ大学。そう、あの広大な空き地にできた大学に通っているのだ。

 ミラノには関西国際空港をデザインしたことでも知られる建築家のレンツォ・ピアノを輩出した1863年創設のミラノ工科大学(ポリテクニコ・ミラノ)や、1921年創立のミラノ・カトリック大学(学生数約4万人)、デザイナーのジョルジョ・アルマーニが通っていたという1924年創立のミラノ大学(学生数約6万人)が有名。

統計学部があるビコッカ大

 ポリテクニコが建築、デザインに特化した大学であるのに比べビコッカは経済、心理学、医学などの学部を持つ総合大学で、アンドレア君が学んでいるのは統計学だ。学生数は約3万人で、小規模で若い大学である。ちなみに、すべて国立大学で、私大としてはミラノのほとんどの公認会計士が卒業している経済系のボッコーニ大学が有名だ。

 ビコッカ大学は歴史の浅い大学ということもあってか、世界の大学500校ランキングに唯一、物理学部が150~200位に入っているくらい。しかし、統計学部がある大学はローマ、パドバくらいでイタリアでは新興の学問だ。

 「元々、算数は好きだったし高校の先生にも新しい分野だからと勧められた」という。

 ちなみに、国立であるビコッカ大学の年間の学費は2700ユーロから3500ユーロ、日本円で約30万円から40万円ほど。

大学の敷地内をトラムが走る
大学の敷地内をトラムが走る

大卒の失業率16%厳しい

 日本のような平均所得や大学進学率という平均値があまり意味を持たないイタリアとは比べようもないけど(イタリア独自の統計学が必要だね、アンドレア君…苦笑)、熾烈な大学受験がないので高校の内申書さえよければ、それにみあった大学にはわりと簡単に入ることができる一方、卒業するのはたいへんだし、卒業しても「大卒の失業率16%」という厳しいイタリアの現実が待っている。

 ピレリの工場で働ければ幸せに暮らせた50年代、60年代、苦労して大学出ても仕事がない21世紀。ビコッカに通う若者たちを取り巻く状況も一昔前とは大きく異なるようだ。(イタリア・ミラノ在住・新津隆夫。写真も)