ミラノ・サローネの中にある「サテリテ」。パビリオン内はデザインを学ぶ学生たちであふれている
ミラノ・サローネの中にある「サテリテ」。パビリオン内はデザインを学ぶ学生たちであふれている

ミラノの春はサローネから

 ミラノの春はサローネとともにやってくる。正式名称、サローネ・デル・モービレ・ミラノ。ミラノ国際家具見本市だ。

 第1回は1961年だから半世紀以上の歴史を持つ。ミラノのイベントというと、派手さも手伝ってミラノ・コレクション「ミラコレ」が頭に浮かぶけど、実は来客数で一番大きなイベントは、このサローネなのだ。

サテリテのパビリオン。ここだけは入場無料
サテリテのパビリオン。ここだけは入場無料

サテリテ始まって20周年

 昨年は6日間で37万人もの人が訪れた。実に世界172カ国から家具のバイヤーやジャーナリストが来場したという。

 このサローネに若手のデザイナーや建築、デザインを勉強している学生たちの作品を展示するサテリテというパビリオンがある。英語で言うとサテライト。今年はサテリテが始まって20周年になる。僕自身は第2回目からサテリテを見ている。

 サテリテへの出展条件は、まずデザイナー自身が35歳未満であること。発表する作品が企業の支援を受けていないこと。そして、もちろんすでに商品化さている物も不可。純粋に若いデザイナーの力を試す場なのである。

思い出を語るパトリック・ジュリアンさん(左から3人目)
思い出を語るパトリック・ジュリアンさん(左から3人目)

安積伸さん夫妻もここが“出発点”

 日本からも毎年このサテリテには多くのデザイナーが参加していて、僕がもっとも印象に深いのは1999年にお会いした安積伸さん、朋子さんご夫妻だ。当時はロンドン在住だったと記憶する。デザインに詳しくない人でも、現在、無印良品で販売さているモノトーンの食器シリーズ「AZUMI」のデザイナーだと言えばピンとくるかもしれない。

 また、最近ではスタバのマグカップをはじめ多くの雑貨デザインで知られ、また2015年のミラノ万博・日本館で「Cool Japanデザインギャラリー」を手掛けたデザイングループ「NENDO」の佐藤ナオキさんも、2003年にサテリテにて特別賞を受賞したことをきっかけに一気に世界ブランドとなった。

今回のサテリテで多くの人の注目を集めていたマリオ・パリアロさん
今回のサテリテで多くの人の注目を集めていたマリオ・パリアロさん

落胆から希望の光

 4月6日には、サテリテを通じて世界的なデザイナーとなった7人のトークショーがあったので行ってみた。

 中でもパリのシェアサイクルのデザインを手がけたフランス人デザイナー、パトリック・ジュリアンさんの話が印象的だった。

 サテリテで各デザイナーに割り振られているスペースは4畳半ほど。多くはデザイナー本人がひとりで店番をして、訪問者に作品の説明をしている。

 パトリックさんはリュックにプレゼン資料や名刺などを詰めて出かけてきたが、そのリュックがすぐに盗難にあった。

昔の日本の家具を彷彿とさせる部材。黒い部分はペイントではなく焼き杉のように焦がしてあるのだという
昔の日本の家具を彷彿とさせる部材。黒い部分はペイントではなく焼き杉のように焦がしてあるのだという

カステリオーニ、ガンディーニが

 茫然自失で6日間を過ごす。そして、最終日。なんと、サテリテ会場にイタリア家具デザインのレジェンドと呼ばれるアッキーレ・カステリオーニやアルファ・ロメオ、フェラーリなどのデザイナーとして知られるガンディーニが訪れ、パトリックさんのブースにもやってきた。

 プレゼン資料も名刺もないパトリックさんは、ただただ憧れの人々と握手するのみ。しかし、この時の思い出が自分がプロのデザイナーになろうという決意を強くしたという。

 「あのときの自分の様な、若くて名もないデザイナーが、カステリオーニやガンディーニと会える。彼らに作品を見てもらえる。こんな機会はサテリテ以外ではありえないでしょう」

 パトリックさんは追憶する。

レーザーでカットした部材。釘もネジもなく組み込んで家具を組み立てる
レーザーでカットした部材。釘もネジもなく組み込んで家具を組み立てる

ローマは一日にして成らず

 サテリテからはすでに100人以上の世界的デザイナーが巣立っている。20年が経過し、今度はパトリックさんたちが若いデザイナーに自信と勇気を与える番。

 俗に「イタリアのデザインはカッコいい」と検索結果紋切り型で語られるが、その背景には時間をかけてよいデザイナーが育まれるこのようなシステムがあるのだ。(イタリア・ミラノ在住・新津隆夫。写真も)