さる6月18日、昨年3月で廃線となったJR三江線の宇都井(うづい)駅などの鉄道設備をJR西日本が邑南町(島根県)に無償で譲渡することが決定した。これにより「天空の駅」として知られた宇都井駅(写真〈1〉)は鉄道遺産として残ることとなった。まだ廃線が決定する前に訪れた三江線の思い出を2回に分けてつづってみたい。(訪問は2016年5月)



三江線の話をするのは、まだまだ先か、自分の心の中に収めてしまおうとも思っていた。100キロもの路線が廃線となって、まだ1年。傷の痛みが、やがてかさぶたとなり、いつの間にかポロリと落ちるには早すぎる。しかし施設存続の報を受け、文字にするタイミングは今しかない、と思った。とにかく見たこと、感じたことを率直につづってみたい。


日本一高い天空の駅として知られた宇都井駅
日本一高い天空の駅として知られた宇都井駅

三江線は広島県北部の中心地である三次駅と日本海の江津駅を結ぶ路線だった。いわゆる「陰陽連絡線」。5月9日に書いた奥羽本線の項でも触れたが、鉄道導入時に先人たちが思い描いたのは「便利に峠を越えたい」だったに違いない。山陰と山陽、人と物資を中国山地を越えて運ぶことができれば、と数多くの路線が敷設された。兵庫から、岡山から、広島から、山口から。大正時代に工事が始まっていることが期待の大きさを物語っている。

ただ三江線の工事は遅れた。他路線がいずれも戦前に全通したのに対し三江線は部分開通が1930年で全通は75年8月末。75年の広島といえば、広島カープの悲願の初優勝だ。部分開通時にプロ野球そのものが姿も形もない。全通時は優勝への追い込みに入ったころ。さすがに時間がかかりすぎだ。また他路線は全通後にマイカーが発達したのに対し、三江線はマイカー発達後に全通と、既に苦戦の要素はできていた。

末期のダイヤは途中の乗り継ぎも含め、全線乗車できるのは、わずか3往復、これには困った。乗るのはいいが、どこかの駅で降りると、上りも下りも次の列車がない。考えた末、三次に宿をとり、初日はレンタカーで駅巡りをして翌日に全線乗車することにした。

当然、まず目指すは宇都井駅であるが、山間部に入って絶句。国道にもかかわらず、いわゆる道幅のない「狭隘(きょうあい)区間」。見通しの悪いカーブで対向車が来るのではないかとヒヤヒヤしながらの運転。後で調べると“カーナビ迷子”だったようだが、駅によっては、狭隘道路を行くしかなく、ここまで廃線にならなかった理由「道路未整備」を身をもって味わうことに。それだけにカープを曲がった後に現れた、その威容に思わず「おお~」の声が出た。田植えの直後、水面に映える駅舎はまさに求めていたもの。

工事が遅れたと前述したが、天空の駅は、そのおかげで誕生したともいえる。工事技術の向上で最後に完成した区間は高架を実に気持ちよく走る。江の川に沿ってソロリソロリ走るのとは大違いだ。地形的にその高架上に駅を設置することになったのが宇都井駅。地上20メートル、日本一高い駅として知られたが、待ち構えるのは116段の階段である(写真〈2〉)。


〈2〉宇都井駅の入り口
〈2〉宇都井駅の入り口

その階段を上る(写真〈3〉)。長い階段だが、飽きさせない工夫が施されている。カウントダウンもいい(写真〈4〉~〈7〉)。上りきると、しっかり待合室があり、そこからの眺望も素晴らしかった(写真〈8〉~〈10〉)。この時、まだ廃線が決まっていなかったのも今にして思えば重要だと思う。廃線決定後だったら、こんなに素直に喜べなかっただろうから。


〈3〉まるで団地の階段のようだった
〈3〉まるで団地の階段のようだった
〈4〉スタートして間もなく。ゆずり合うほどの人が来るようになればいい
〈4〉スタートして間もなく。ゆずり合うほどの人が来るようになればいい
〈5〉半分を過ぎました
〈5〉半分を過ぎました
〈6〉途中、カルタもあった。階段を上る際に癒やされる
〈6〉途中、カルタもあった。階段を上る際に癒やされる
〈7〉さぁ、間もなくだ
〈7〉さぁ、間もなくだ
〈8〉ゴールです!
〈8〉ゴールです!
〈9〉ホームからの眺望は素晴らしかった
〈9〉ホームからの眺望は素晴らしかった
〈10〉三江線の解説もあった
〈10〉三江線の解説もあった

そして地元の方に謝らなければならないことがひとつできた。三江線を巡るとどこの駅にも集落はあった。宇都井駅の周囲には何もないだろうなんて思っていたことが恥ずかしい。無駄な路線、無駄な駅なんて、もともとないんだとあらためて思った瞬間だった(写真〈11〉)。【高木茂久】


〈11〉水面に映える駅を何度も見ながらお別れした
〈11〉水面に映える駅を何度も見ながらお別れした

※保存が決まった宇都井駅だが、現状はイベント時以外は立ち入ることができない。来年をめどに交通公園となる予定