ミスタードラゴンズの立浪和義氏(49)が野球殿堂入りを果たした。

入団時の担当スカウトだった中田アマスカウトディレクター(62)は振り返る。入団発表のとき、当時の星野仙一監督から「立浪はおとなしいな」と聞かれ、「ユニホームを着たら変わりますから」と説明したという。

言葉通りユニホームを着た立浪氏は1年目から開花した。レギュラー遊撃手として規定打席にも到達し、新人王とゴールデングラブ賞を受賞。しかし入団後のキャンプで右肩を負傷。「脱臼の影響で二塁に移ったが、逆に打撃に専念できるようになりプラスになったと思う。ショートを続けていれば、10年くらいで衰えていたかもしれない」と同ディレクター。けがの功名が現役22年、通算2480安打で名球会入り、プロ野球記録になる487二塁打につながった。

「立浪はPL学園でキャプテンを務め、統率力があった。野球選手として強さもあった。当時から野球人としての存在感が際立っていた」。選手としてだけでなく、中日では選手会長も務めた。またプロ野球選手会理事長なども歴任。同ディレクターが予見していた通り、チームだけでなくプロ球界でリーダーシップを取る存在にもなった。

昭和から平成を駆け抜けた3代目ミスタードラゴンズ。94年の巨人との最終戦。いわゆる「10・8決戦」での一塁へのヘッドスライディングで左肩を脱臼。ベース上で苦悶(くもん)の表情を見せる同氏の姿をナゴヤ球場の記者席から見た。僕も還暦まであとウン年。もう1度、竜のユニホームを着る立浪氏を見られるのだろうか。【中日担当 伊東大介】