さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第5弾は佐々木信也氏(83)が登場します。

 太平洋戦争の終結から4年後の1949年(昭24)、神奈川県きっての進学校、湘南の1年生として全国優勝に貢献しました。

 監督は父、佐々木久男氏が務めており、親子鷹としても注目されました。

 後年「プロ野球ニュース」のキャスターとして活躍した姿からは、想像もつかない幼少時代。

 進学校らしく、短時間で効率を高めた練習。

 甲子園の思い出。

 さまざまなエピソードで当時を振り返ります。

 5月24日から6月2日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。 

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

取材後記

 野球ファンに佐々木信也氏の印象を尋ねれば、40代以上の人は「プロ野球ニュースのキャスター」と答えるでしょう。

 しかし、湘南高校という神奈川きっての進学校で夏の甲子園に優勝し、プロ野球では現在でも新人の最多安打記録保持者という事実は、あまり知られていません。そんな佐々木氏が野球人生の「原点」と語るのが、高校野球です。

 佐々木氏が全国制覇を達成したのは、戦後間もない1949年(昭24)です。幼少期から戦争に巻き込まれ、命からがら機銃掃射から生き延びた経験もあります。食料難でもありました。

 野球に限らず、当時の高校生がどんな生活を送っていたのか、そんな部分にも着目しながら執筆しました。平和な時代に生きる高校球児たちにも、この連載を通じて戦争の影響を感じてもらえればと思います。私は40代ですが、幼いころ、亡くなった祖父母によく戦争の時に苦労した話を聞きました。戦争経験者が少なくなった現代だけに、体験談は貴重です。

 湘南高校の監督は、佐々木氏の父、久男氏でした。この親子ドラマにも、現在では考えられない、さまざまなエピソードがあります。そして、後にプロや東京6大学リーグ、高校球界で活躍することになる先輩、ライバルたち。同学年だった大沢親分、中西太氏から藤田元司氏、長嶋茂雄氏。後に高野連の会長を務める脇村春夫氏もチームメートでした。さまざまな人物が、佐々木氏の人生に関わってきます。

 戦後の動乱期に、進学校が起こした奇跡的な無欲の快進撃。映画にでもならないかな、と夢想します。それぐらい、興味深い話の連続でした。【斎藤直樹】