沖縄大会の初戦。美里工との試合は、まさかの接戦になった。2点を先制され、5回に敵失絡みで何とか逆転した。6-4の辛勝だった。

 大野 初戦からギリギリの戦いでした。僕自身、アップアップの状態でしたから。周りからすれば、「この期に及んで大野は何をしているんだ?」って思ったでしょうね。

 ふがいないエースに対し、仲間が不満を募らせているのが分かった。

 大野 もう腹をくくってやるしかない。そう思っていました。

 3回戦の久米島戦は16-3で大勝した。準々決勝の与勝戦は7-0で7回コールド。打線の援護もあって、勝ち上がっていった。

 準決勝の相手は那覇商だった。秋季沖縄県大会では延長17回の末に勝利したが、その後の練習試合では4連敗していた。最大のライバルと言ってよかった。

 試合前日、大野は意を決して監督の栽弘義の元を訪れた。グラウンドにある監督室を訪れ、直立不動で打ち明けた。

 大野 「先生、肘が悪いんです」と言いました。本当に悩みましたが、那覇商戦が大きなヤマだなと。今の自分のこの状態ではさすがに迷惑をかける、無理だと思いました。

 栽は驚かなかった。大野の投球を見て、ある程度は覚悟していたのだろう。2人は相談して、試合前に痛み止めの注射を打つことを決めた。

 大野 時間もなかったし、方法は1つしかありませんでした。

 試合当日は移動するバスの最後部座席に座った。球場に着き、チームメート全員の降車を確認するとバスのカーテンを閉めた。そこでバスに同乗していた医師に痛み止めの注射を打ってもらった。

 大野 注射の効果は抜群でした。それまでの痛みがウソのように投げられましたから。

 右肘の痛みを忘れ、大野は快投した。ライバル那覇商を相手に5安打1失点で完投勝利を収めた。

 豊見城南との決勝戦も、試合前に痛み止めの注射を打った上で臨んだ。9安打2失点で完投勝利。甲子園出場を決めた。

 大野 ホッとしたのが正直な気持ちでした。いろんなことがありましたが、甲子園に出ることで全てが丸く収まったんです。

 スタンドもベンチも沸き返った。溝ができていたチームメートからも「倫、ありがとう」と声をかけられた。

 ただ、この時もまだ仲間は大野の右肘痛に気付いていなかった。準決勝から復調したと受け止めていた。

 大野 準決勝からはバスに医者が乗っていたし、みんな気付いたと思っていたんですけど…。隠すつもりはなかったですが、だからといって、みんなの前で「痛い」とは言いたくなかった。

 甲子園出場を決めてからも大野は投球練習を避けて、ランニングばかりしていた。グラウンドを離れて川沿いを走り、練習が終わるまで時間をつぶした。栽から「1回ぐらい投げておいたらどうだ」と言われ、1度ブルペンに入っただけだった。

 大野 甲子園でも痛み止めの注射さえ打てば、何とか投げられる。そう思っていました。

 だが、大阪入りした直後、栽に呼ばれた。思わぬ宣告を受けた。(敬称略=つづく)

【久保賢吾】

(2017年6月26日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)