15歳に宿った「名古屋電気(現愛工大名電)を見返したい」という思いは、莫大(ばくだい)なエネルギーとなった。坂本は入部を願い出た入学式当日に、監督の阪口慶三の前で、キャッチボールを披露。その後も校舎居残り組ではなく、バスに乗ってグラウンドに向かうことができた。
厳しい練習にも、「見返す」思いを胸に耐えた。中学時代は野手だったからこそ、投手として新鮮な日々でもあった。硬球を握ったばかりだったが、輝きは別格だったようだ。77年の日刊スポーツには、阪口が坂本を抜てきした理由が記されている。「最初にピッチングをみたとき、球がホップする感じだった。これは何か持っているな、と思いましたね」。坂本はスライダーも1カ月で覚えた。迎えた夏の愛知大会。背番号は「10」だった。
東邦の77年愛知大会の準決勝までの勝ち進みは次の通りだ。
1回戦 10-0社若
2回戦 9-0時習館
3回戦 2-1刈谷
4回戦 5-0碧南工
準々決勝 10-0成章
準決勝 5-2大府
そして、甲子園をかけた決勝は、名古屋電気が相手だった。
入学から3カ月後に巡ってきた「宿敵」との一戦。9番投手として先発すると、6点の援護を受け、9回を投げきった。10安打を浴び、2奪三振だったが、失点は1点だけ。完投勝利で、いきなり雪辱を果たし、甲子園切符をつかんだ。
舞台が全国に替わっても、快投は止まらなかった。背番号はついに「1」を与えられた。鋭く曲がるスライダーを最大の武器に、キレのある直球、ドロンとしたカーブで勝利を積み重ねた。初戦の2回戦、高松商(香川)で9回2失点完投。3回戦は黒沢尻工(岩手)を9回完封。準々決勝も完封勝利で、熊本工を相手に9回2安打の好投だった。準決勝は大鉄(大阪)戦。7回まで3点を奪われたが、打線が2点を追う8回に3点を挙げて逆転。9回にも1点を追加してくれて、5-3での勝利。この試合も坂本は完投した。
ただ、意外にも本人は試合内容を深く覚えてない。
坂本 甲子園の思い出は本当に、宿舎で洗濯していたことぐらい。先輩たちに連れて行ってもらった甲子園だったから印象にないんだよ。
3週間とはいえ、初めて親元から離れて臨む大会。思い出されるのは、チーム宿舎での洗濯の順番待ち。背番号1でも、1年生だから最後だった。やり方が分からない坂本を見かねて、宿舎のおかみさんが内緒で手伝ってくれた。
準決勝の大鉄戦後も洗濯に苦戦していた。東邦は準決勝2試合のうち、先に行われたカードだった。第2試合で、東洋大姫路(兵庫)が今治西(愛媛)を下した。その試合の終了時刻は午後4時46分。坂本は、テレビで必死に相手をチェック…ではなく、洗濯に向かっていた。
どこまでも自然体。「連れて行ってもらった」という甲子園の決勝の日がやってきた。(敬称略=つづく)
【宮崎えり子】
(2017年8月7日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)