親子3世代で甲子園の土を踏んだ“華麗なる一族”が華麗な1発を放った。13年夏の甲子園、日大山形・奥村展征内野手(3年、現ヤクルト)は日大三(西東京)との2回戦で本塁打を放ち、史上2度目の甲子園父子アーチを達成。山形県勢初の夏4強に導いた。父伸一(49)も甲西(滋賀)で出場した86年夏の甲子園で本塁打をマーク。元衆院議員の祖父展三(73)も68年のセンバツで監督として甲賀(滋賀)を率いた。大舞台で力を発揮する血筋は、脈々と受け継がれていた。

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 父がアーチをかけた27年前と同じ初戦が舞台だった。初回、左打席に立った奥村は上げた右足をピーンと伸ばし、4球目の139キロ外角低め直球を振り抜いた。バックスクリーン右に突き刺さる先制2ラン。熱狂的な5年前の記憶を、今でも鮮明に思い出せる。

 奥村 甲子園が始まる前から、自分が打ったら親子アーチだと騒がれていた。打った手応えはなかったけど、二塁を回るぐらいに入ったって気付いて、めちゃくちゃうれしかった。

 スタンドで伸一は息子の勇姿を見届けていた。表情を崩さずホームを踏んだ息子に対し、父はラッキーゾーンに打ってガッツポーズで生還していた。

 伸一 まさか入るとは。感動したし、震えた。親子で甲子園でホームラン打つなんて、お互い恵まれている。展征は同じ左打ちで、自分の分身なんです。

 奥村にとって、伸一は今でも憧れの存在だ。甲西で2年連続の甲子園に出場。85年夏の準々決勝では東北(宮城)の佐々木主浩(元横浜)から3安打し、準決勝ではKKコンビ擁するPL学園(大阪)に敗れた。翌86年の三沢商(青森)との開幕戦では大会第1号を放った。卒業後は近大を経て社会人野球プリンスホテルに進み、今年からヤクルトのヘッドコーチに就任した宮本慎也と一緒にプレー。現在は運送業の社長を務めながら、母校甲西の監督として指揮を執っている。

 奥村 父さんの左打ちを見て勉強できるのは、すごいなと思った。口数の少ない父が「俺は昔すごかったんだ」と口だけで言ってると思っていたけど、実際に打撃を見たら違った。ものすごい打球を打っていた。

 幼少期に刷り込まれていた衝撃が、今でも脳裏に焼き付いていた。父がプレーしている記憶こそ薄かったが、小学校の頃に通ったバッティングセンターで見た父の打撃の記憶ははっきり残っていた。左打席に立ち、球をギリギリまで引きつけて快音を連発する姿を見て、子供ながらに度肝を抜かれた。

 奥村 お父さんはプロではなかったけど、社会人でバリバリやっていた。まだ今でも、超えられてないと思う。

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 奥村は日大山形を卒業後、巨人にドラフト4位で入団。1年後にはヤクルトへ移籍した。今年、定位置確保をかけ、勝負の5年目に挑んでいる。出身の滋賀から野球留学で山形に送り出した伸一は、息子のさらなる成長に期待した。

 伸一 展征は奥村家の夢。僕が入りたかったプロの世界に入ってくれた。記憶にも記録にも残る選手になってほしい。

 “華麗なる一族”には続きがある。今春、奥村の弟、真大(まさひろ)が龍谷大平安(京都)に入学した。兄とは反対の右打ちの内野手で、憧れの甲子園出場に向けて奮闘している。夢は史上初の「親子3人アーチ」だ。(敬称略)

【高橋洋平】

 ◆甲子園の父子本塁打1号 71年春に日大三・吉沢俊幸が坂出商戦、10年春に息子の日大三・吉沢翔吾が山形中央戦でマークした。

13年、甲子園のスタンドで応援する日大山形・奥村の父伸一さん
13年、甲子園のスタンドで応援する日大山形・奥村の父伸一さん
13年、甲子園のスタンドで応援する日大山形・奥村の祖父・展三さん
13年、甲子園のスタンドで応援する日大山形・奥村の祖父・展三さん