初出場の明秀学園日立(茨城)が瀬戸内(広島)を逆転で破り甲子園初勝利を挙げた。光星学院(青森)時代に甲子園4強の経験のある金沢成奉監督(51)にとっても就任7年目でのうれしい1勝となった。一問一答は以下の通り。

 -初出場初勝利

 金沢監督 今まで勝って校歌を歌ったことはなかった。感無量です。「明秀日立の金沢」としてスタートを切りましたが、甲子園に出られない日が続いていた。何とか甲子園に出て1勝できて今日で一歩進んだと思います。

 -序盤は苦しい展開だった

 金沢監督 甲子園独特の雰囲気に飲まれていた。ただ、ウチ本来の展開だと思っていた。

 -9回無死一塁から代打佐伯を出して強攻し無死一、三塁に

 金沢監督 「打って勝つ」と茨城の方々にも言ってきたので全く迷いはありませんでした。佐伯にはレギュラーと同じだから、心の準備をしておけと言ってありました。佐伯が良いお膳立てをしてくれた。

 -送りバントは考えなかった

 金沢監督 この5年間、サインで悔いを残して負けていた。送ったり、スクイズであったり。だから打ち勝つ野球を見失わないようにと思った。また今回やって負けたら野球を辞めないといけないと。だから強気で行きました。

 -1番の増田が初球を打って同点タイムリー

 金沢監督 鼻息の荒い子ですから。今日は走塁と守備で冷静さを欠いていたので「これが甲子園だよ」と。「力みは敵だよ。普通にやれば1点入るから」と言って送り出しました。

 -勝因は

 金沢監督 何とも言えません。これが高校野球。実は9回裏の最後の場面(2死三塁で4番門叶)だって、敬遠の指示だったんです。捕手が経験が浅くて敬遠の外し方が分からなくて。それをたまたま打ってくれて(二飛で試合終了)。勝ちに不思議な勝ちありですよ。

 -光星学院で甲子園に4度出場。そこから茨城の明秀日立に来た

 金沢監督 最初は3年以内に甲子園に行くとみんなに豪語していました。「光星の金沢」って言われないようにしようと。とにかく「明秀の金沢」って言われるようにと思ってやってきた。常総学院の真似をしてもダメだし、自分の野球を確立すること。打って打ち勝つ野球を知らしめる。代名詞が必要なんです。

 -選手にはどういった声を掛けるか

 金沢監督 「これが甲子園やぞ」と。勝ったから反省も生まれる。「一生忘れるな」と言いたい。

 -声が枯れている

 金沢監督 風邪なんです。だから声は出さずに行こうと思ったんですが、出さずにはいられませんでした。