ついに認められた。

それも本場、米国で。日本ハム時代を担当した記者としては、感慨深いものがある。

大谷翔平はつねに逆風にさらされてきた。常識をくつがえす「二刀流」。壮大なスケールで描かれた若者の挑戦を、周囲は批判の的にした。本人の耳に入れないよう、日本ハムの球団スタッフは配慮していたというが、それでもネットニュースや、なにげなく見ていたテレビで、自分に対する厳しい意見を目の当たりにする機会はあった。皮肉なモノで、投打両方の活躍が「どちらかにすれば…」という声を根強く残した。

「気にはしていません。そういうタイプの人間なので」。大谷には何度聞いても、こう答えが返ってきた。それだけの信念を持っているから、雑音につぶされることなく、今がある。とはいえ、批判されることが気持ちのいいものでは、決してなかったはずだ。

4勝、22本塁打。どちらも飛び抜けた数字ではない。だからこそ「二刀流」が評価されているということになる。日本一に輝いた16年。大谷は右手指にできたマメの影響で、規定投球回数に3イニング足りなかった。防御率1・93というダントツの数字を残しながら、2年連続最優秀防御率のタイトルは幻になった。

栗山監督は3イニングだけ投げさせることも検討し、本人に確認を取ったそうだ。だが大谷は迷うそぶりもなく、断ったという。タイトルよりも大切なものに向かって突き進んできた大谷。メジャーの舞台でその挑戦を認められ、栄誉ある賞を手に入れた。【本間翼】