今季限りで現役を引退する選手を特集。

巨人

藤村大介内野手(28)

10月14日、現役引退することを表明。シーズン後に戦力外通告を受けてから、今後の進路を熟考。「トライアウトを受けるか迷いましたが、巨人一筋で終えようという気持ちもあった」と心境を吐露。11年に盗塁王を獲得し、人気野球ゲーム、ファミスタの韋駄天(いだてん)キャラ「ピノ」の愛称で親しまれた。

「小学生のころの作文で巨人にドラフト1位で入って盗塁王と本塁打王を取りたいと書いていた。ホームランは1本も打てなかったけど、盗塁王は取れて、子供のころの夢がかなった」と携帯に収めた作文の画像を披露しながら、笑顔で振り返った。今後はポストは未定ながら、球団に残る予定。「巨人が勝てるように間接的にチームを支えられれば」と新たな旅立ちへ向かって話した。

片岡治大内野手(34)

10月1日、東京ドーム内で会見を行い、現役を引退することを表明。

プロ13年目の今季は度重なるケガに悩まされ1軍出場はなかった。「まだ悔しさの方が大きいです。希望を持ってリハビリを重ねてきましたが、思うようにリハビリが出来なかった。何回も心を折られた」と心中を明かした。プロ入りから9年間在籍した古巣西武について問われると「培ったものが大きく、あそこで育てられた。お礼を言いたい」と感謝の意を示した。

引退会見を行った巨人片岡治大(右)は、選手会長の長野久義から花束を贈られ握手を交わす(撮影・たえ見朱実)
引退会見を行った巨人片岡治大(右)は、選手会長の長野久義から花束を贈られ握手を交わす(撮影・たえ見朱実)
引退会見を行い心境を語る巨人片岡(撮影・たえ見朱実)
引退会見を行い心境を語る巨人片岡(撮影・たえ見朱実)

相川亮二捕手(41)

10月3日、神宮球場で記者会見し、今季限りでの現役引退を表明。今季は正捕手の小林や宇佐見の成長で出番が減り「自分が仕事をする場所がなくなったのが一番の理由。気持ちも体も目いっぱいで追い付かなくなってきた」と涙をこらえながら語った。球団から打診されたコーチ職は辞退したという。千葉・東京学館高から95年にドラフト5位で横浜(現DeNA)に入団。フリーエージェント(FA)権を行使して09年からヤクルトに、15年から巨人に移籍して23年間プレーした。

 同日のヤクルト戦でラストゲーム。9回無死走者なし。戸根に代わり代打で出場すると、ヤクルト時代の登場曲が流れ出した。粋な演出にも背中を押されて、2ボールから秋吉の低め直球を振り抜いた。三遊間の最深部を強いゴロが転がる間に、全力疾走で一塁を駆け抜けた。現役最終打席は遊撃への内野安打。代走の橋本到を送られると、球場全体から相川コールで見送られた。

ヤクルト対巨人 9回表巨人無死、現役最後の打席で内野安打を放った相川(手前)に拍手を送るヤクルトファン(撮影・狩俣裕三)
ヤクルト対巨人 9回表巨人無死、現役最後の打席で内野安打を放った相川(手前)に拍手を送るヤクルトファン(撮影・狩俣裕三)
ヤクルト対巨人 巨人とヤクルト両ナインの胴上げに舞う巨人相川(撮影・中島郁夫)
ヤクルト対巨人 巨人とヤクルト両ナインの胴上げに舞う巨人相川(撮影・中島郁夫)

松本哲也外野手(33)

10月6日、引退会見。「プロに入って試合に出て活躍できたのは、原監督(のおかげ)。すごく尊敬もしていますし、使っていただいた。すごく感謝しています」。

翌7日のファーム選手権、広島戦(KIRISHIMAサンマリン)で代打出場。涙ながらに打席に立ち、三ゴロに倒れた。

引退発表会見で花束を手にする巨人松本哲也(撮影・山崎哲司)
引退発表会見で花束を手にする巨人松本哲也(撮影・山崎哲司)

堂上剛裕外野手(32)

10月29日、現役引退することを発表。前日28日に球団から来季の契約を結ばないと通告され、熟考の末に決断。川崎市のジャイアンツ球場を訪れ、チームメートに別れを告げた。「1度は終わった野球人生を、3年間プラスしてやらせていただいた。1日1日を大切に過ごせました。まだ勝負できる、勝負したいという気持ちはありましたが、自分がやりたくてもやれる世界ではないので」と心境を伝えた。

 父の照さんは元中日の投手で、弟の直倫も中日の内野手という野球一家。03年ドラフト6位で中日に入団したが、14年オフに戦力外となり、合同トライアウトを受験。同年11月に育成契約で巨人入りした。15年の春季キャンプ中に支配下登録を勝ち取り、同シーズンは左の代打の切り札として59試合で打率2割7分6厘、3本塁打、13打点を挙げた。

巨人堂上(昨年11月の契約更改で)
巨人堂上(昨年11月の契約更改で)

鬼屋敷正人捕手(26)




ロッテ

井口資仁内野手(42)

6月20日、ZOZOマリンで会見し今季限りでの現役引退を表明。9月24日の日本ハム戦(ZOZOマリン)で引退試合を行い9回に同点2ランを放った。ロッテの新監督に就任。

 1974年(昭49)12月4日、東京都生まれ。父親の手ほどきで小1から野球を始め、国学院久我山高2年の時に甲子園に出場。青学大時代は通算24本塁打を放ち、96年アトランタ五輪銀メダル獲得に貢献。同年ドラフト1位でダイエー入り。3拍子そろった主力として活躍し、99年のリーグ優勝、日本一に貢献した。05年に米球界移籍。同年はホワイトソックスでリーグ優勝、ワールドシリーズ優勝に貢献。フィリーズ、パドレスでもプレー。09年にロッテに入り、日本球界に復帰した。ロッテでも主力としてチームを引っ張り、10年の日本一に貢献した。13年には、日米通算2000安打を達成した。通算成績はプロ野球が1885試合に出場して打率2割7分1厘、250本塁打、1010打点。メジャーでは493試合で打率2割6分8厘、44本塁打、205打点。血液型O。178センチ、91キロ。右投げ右打ち。

6月20日に引退表明。井口(右)は鈴木(左)、角中(中央)から花束をを贈られる
6月20日に引退表明。井口(右)は鈴木(左)、角中(中央)から花束をを贈られる
9月24日、9回に2点本塁打を放つ井口
9月24日、9回に2点本塁打を放つ井口
9回裏ロッテ無死一塁、同点の中越え2点本塁打を放ちガッツポーズする井口(撮影・足立雅史)
9回裏ロッテ無死一塁、同点の中越え2点本塁打を放ちガッツポーズする井口(撮影・足立雅史)
ロッテ対日本ハム ナインに胴上げされるロッテ井口(撮影・足立雅史)
ロッテ対日本ハム ナインに胴上げされるロッテ井口(撮影・足立雅史)
ロッテ対日本ハム 紙テープが舞う中、ファンの声援に応えるロッテ井口(撮影・足立雅史)
ロッテ対日本ハム 紙テープが舞う中、ファンの声援に応えるロッテ井口(撮影・足立雅史)

日本ハム

飯山裕志内野手(38)

9月15日、今季限りで現役引退することを発表。札幌市内の球団事務所で引退会見に臨み、冒頭で「飯山裕志は今シーズンをもって、引退させてもらいます」と、話した。ユニホームを脱ぐ決断に至ったのは「ケガをしてしまったこと。1年間、1軍でプレーできなかったこと。そうすると、チームに迷惑をかけていると感じたことです」と、経緯を説明した。

 10月3日、本拠地札幌ドームのオリックス戦で引退セレモニー。8回の守備から「3番・遊撃」で途中出場。その裏の打席では、登場曲「勇次」が流れると3万5613観衆の大合唱で迎えられ、左飛に終わった。9回2死、最後のアウトはゴロを処理し、自ら奪った。「みなさんのユウジコールは、本当に忘れません。飯山裕志はプロ野球選手を辞めます。野球という素晴らしいスポーツは一生、辞めることはないと思います」と宣言した。

会見で今季限りでの引退を表明する日本ハム飯山裕志(17年9月15日撮影)
会見で今季限りでの引退を表明する日本ハム飯山裕志(17年9月15日撮影)
引退セレモニーで大谷翔平(左から2人)らと握手する飯山(球団提供)  
引退セレモニーで大谷翔平(左から2人)らと握手する飯山(球団提供)  

広島

江草仁貴投手(37)

9月20日、今季限りでの現役引退を球団に申し入れ、了承された。すっきりとした表情で、時折笑顔も見せながら「小さい頃からカープ帽をかぶって遊んでいたので、カープでプレーできて幸せでした。誇りに思います」と語った。02年に自由枠で阪神に入団。05年には中継ぎ投手として51試合に登板。桟原、橋本とともに「SHE」の一角を担い、リーグ優勝に貢献した。その後11年途中に、トレードで西武に移籍。12年3月には再びトレードで、地元広島に移籍した。広島では在籍6年で52試合に登板。テンポのいい投球で、場面を問わずに投げ続けた。

 9月27日、2軍阪神戦(甲子園)で引退試合を行った。8回から登板し、同じくこの日が引退試合だったかつての同僚・阪神狩野と対戦。互いに少し笑みを浮かべながら向き合い、結果は左翼への二塁打だった。マウンドを降りると、狩野が二塁ベースから歩み寄り、抱擁。江草はあふれる涙を拭いながらベンチへ戻った。試合後は広島ナインに5度胴上げされた後、狩野に手招きされ今度は阪神ナインから5度胴上げ。「あんな風にしてもらえると思っていなかったので、すごい感激しています」と感無量の様子だった。今後については未定で「本当に何も決めてないので、ちょっと考えながら。野球に携われれば一番いいと思ってますけど、そういう仕事があればやりたいです」と話した。プロでの一番の思い出は「今日じゃないですか。今日が一番楽しかったです」。最後の試合が最高の試合になった。

広島江草
広島江草
江草から二塁打の狩野はマウンドに行き抱き合う(撮影・河南真一)
江草から二塁打の狩野はマウンドに行き抱き合う(撮影・河南真一)
引退する江草は笑顔で胴上げされる(撮影・宮崎幸一)
引退する江草は笑顔で胴上げされる(撮影・宮崎幸一)

阪神

安藤優也投手(39)

9月15日、西宮市内のホテルで会見を開き、今季限りの現役引退を発表。背番号と同じ16年間の現役生活を振り返って感極まり、涙ぐむ場面もあった。昨季まで4年連続で50試合以上に登板。先発、救援で通算77勝66敗11セーブ、92HPをマークした。03、05年と2度のリーグ優勝を知るV戦士は「後輩たちには優勝をしてもらって、強いタイガースを築いていってほしい」とエールを送った。

10月10日には中日戦(甲子園)で現役最後の登板。打者2人に投げ、1本塁打を浴びたが1死を取りマウンドを去った。

記者会見で現役引退を表明する安藤(撮影・田崎高広)
記者会見で現役引退を表明する安藤(撮影・田崎高広)
引退セレモニーでナインから胴上げされる安藤(撮影・河南真一)
引退セレモニーでナインから胴上げされる安藤(撮影・河南真一)


狩野恵輔外野手(34)

9月18日、西宮市内の球団事務所で引退会見。「今はスッキリしている。決める前は葛藤もあったけど、決めてからは思い切って野球が出来ている」と爽やかに話した。ただ、今季務めた選手会長やチームメートのことに話が及ぶと堪えきれずに号泣。虎一筋17年の熱血漢は「支えられて17年間出来たのは誇り」と目頭を押さえた。

9月27日、2軍広島戦(甲子園)で引退試合。今季限りで引退する安藤優也投手(39)がと打者1人限りのバッテリーを組んだ。

阪神対広島 引退会見で涙を見せる狩野(撮影・加藤哉)
阪神対広島 引退会見で涙を見せる狩野(撮影・加藤哉)
堂林を三振に仕留めた安藤、狩野のバッテリーはがっちり握手(撮影・河南真一)
堂林を三振に仕留めた安藤、狩野のバッテリーはがっちり握手(撮影・河南真一)
掛布2軍監督と抱き合う狩野恵輔(撮影・河南真一)
掛布2軍監督と抱き合う狩野恵輔(撮影・河南真一)


新井良太内野手(34)

10月10日、現役最後となった中日戦(甲子園)では途中出場で2打数ノーヒットも、同じく現役ラスト登板となった安藤をファインプレーで援護した。翌11日に西宮市内の球団事務所で引退会見し「1年1年が勝負というのはこの世界はもちろんそう。今年は一番強い覚悟を決めて臨んだというか。そういうシーズンでしたので。腹をくくったシーズンでした」と話した。

晴れやかな表情で引退会見を行う新井良太(撮影・前田充)
晴れやかな表情で引退会見を行う新井良太(撮影・前田充)

中日

森野将彦内野手(39)

9月21日に今季限りで現役を引退すると発表。同日はウエスタン・リーグ阪神戦(ナゴヤ)5回に代打で登場。藤浪の151キロ直球に空振り三振だったが、球団発表を知っていたファンの大歓声を浴び、ヘルメットを取って応えた。試合後は「引退を決めました。ナゴヤ球場で最後に出られてよかった。ここで始まった野球人生なので、幸せでした」と笑顔だった。

 24日、ナゴヤドームの広島戦で引退試合。7回に代打で一ゴロに倒れたが、ナインがはなむけのサヨナラ勝利をプレゼント。満開だった。2点を追う7回無死一塁に代打で登場。一ゴロに倒れ一塁走者に残ると1学年先輩の荒木が代走に出て交代。白い歯をこぼして握手を交わし、ベンチに下がった。21年間の活躍をねぎらうように、ナゴヤドームは拍手に包まれた。広島ファンで真っ赤に染まった左翼席からも森野コール。藤井、東海大相模の後輩の広島田中から花束を受け取り、大歓声に応えた。

 サヨナラ勝利後、セレモニーで長男凌真(りょうま)さん(13)と長女凛(りん)さん(10)から花束を受け取ると、優しい顔になった。マウンド付近で胴上げされ、背番号と同じ7回宙に舞った。会見でも「とにかく笑顔で終われて幸せ。悔いなく終われた。僕らしくていいと思います」と笑った。来季からは2軍打撃コーチに就任する。

ウエスタン・リーグ中日対阪神 ナインとの記念撮影の前にファンの声援に応える森野(右)。左は小笠原2軍監督(撮影・前岡正明)
ウエスタン・リーグ中日対阪神 ナインとの記念撮影の前にファンの声援に応える森野(右)。左は小笠原2軍監督(撮影・前岡正明)
中日対DeNA 7回裏中日無死一塁、引退試合に代打で出場し一塁ゴロの森野(右)は、代走の荒木と笑顔で握手(撮影・前岡正明)
中日対DeNA 7回裏中日無死一塁、引退試合に代打で出場し一塁ゴロの森野(右)は、代走の荒木と笑顔で握手(撮影・前岡正明)
中日対広島 引退試合を終え、ナインから胴上げされる森野(撮影・前岡正明)
中日対広島 引退試合を終え、ナインから胴上げされる森野(撮影・前岡正明)

ヤクルト

今浪隆博内野手(33)

10月3日、体調不良を理由に現役引退すると表明。「引退しますといいました。今の僕の体では戦えないというのが大きい。病気とまず戦っていかないといけいない。試合に出るにつれて、体の不調が出てくる。医者に診てもらっても数値は正常といわれるが、自分は正常ではないと感じることが多かった。そういう人間が1人でもいると周りに迷惑をかける。申し訳ないなという気持ちもあり、もっと早く言うべきだった。戦力外というタイミングで言えた。区切りが付いた。病名は甲状腺機能低下症、橋本病です」と話した。今浪は07年に日本ハムに入団。14年途中にトレードでヤクルトへと加入していた。

ヤクルト今浪
ヤクルト今浪

土肥寛昌投手(26)


DeNA

高崎健太郎投手(32)

大原慎司投手(32)

下園辰哉外野手(32)

小杉陽太投手(31)