プロ野球広島の内野手で、国民栄誉賞を受賞した衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が、23日夜に上行結腸がんのため東京都内で死去したことが24日、分かった。71歳だった。

 プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、75年に広島のセ・リーグ初優勝に貢献し「赤ヘル旋風」を巻き起こすなど黄金期を支えた衣笠氏を記録で振り返ります。

 ◆鉄人 70年10月19日巨人戦から引退する87年10月22日までプロ野球記録の2215試合連続出場。74年4月17日から79年5月27日にマークした678試合連続全イニング出場は歴代3位。71年から87年まで17年連続で全試合に出場しており、通算17度の全試合出場もプロ野球記録となっている。

 ◆守備位置 捕手で入団し、1年目の65年は捕手で18試合出場。2年目からは一塁を守り、初Vの75年に初めて三塁で全130試合に出場。80年は三塁で124試合、一塁で6試合先発したが、試合途中で三塁から一塁へ回ったのが81試合。三塁と一塁の両方を守る試合が増え、通算では三塁で1638試合、一塁でも1493試合に出場した。

 ◆俊足強打 通算2543安打、504本塁打を記録し、「2500安打+500本塁打」は5人しかいない。巨人戦で101本塁打放ち、同カードでは山本浩(広島)の100本を抜く最多記録。足も速く、76年には盗塁王。500本塁打以上で盗塁王を獲得しているのは衣笠だけ。プロ20年目、37歳の84年には初めて打率3割をマークし、102打点で打点王。20年目で初3割、初100打点は、ともに遅咲き記録となっている。フルスイングが特徴で歴代9位の通算1587三振。

 ◆死球 シーズン最多を6度記録するなど通算161死球。196の清原、166の竹之内に続く歴代3位。76年8月31日中日戦では3回に青山と金井にぶつけられ、プロ野球史上初の1イニング2死球を記録したが、5回に回ってきた次の打席で金井から本塁打を放っている。