元巨人投手の西本聖氏(61)が、「鉄人」衣笠祥雄氏の死を悼んだ。1979年(昭54)の1つの死球にまつわるエピソードから、在りし日の衣笠氏の人柄をしのんだ。

 私にとって衣笠さんは、野球人としてだけでなく、1人の人間としても、かけがえのない“恩人”です。先日、野球中継で解説をなさっていたとき、自宅で聞いていた声に元気がないのでとても心配していたんです…。なんと言っていいか、言葉になりません。

 忘れもしない日になったのは、1979年8月1日の広島戦です。私が先発した試合で、7回表まで7-1で大量リード。しかし、先頭の三村さんと2死から萩原さんに死球を与えていました。ただでさえ、この展開でぶつけたら大変なことになるのに、打席には連続試合出場記録を続けている衣笠さんです。それでもシュートピッチャーの私が、右打者の内角を攻められなければプロの世界では通用しません。思い切って投げたら、衣笠さんの左肩にぶつけてしまったのです。

 両軍の選手が、ベンチを飛び出しました。普通なら投手である私に突進して来るのですが、まだ5年目で若く、私の兄(明和氏=69)が広島にドラフト1位で入団していたこともあったのでしょう。広島の選手は、キャッチャーだった吉田さんに向かって行き、乱闘になりました。私はその横で倒れていた衣笠さんの元に走って「すいません」の繰り返し。そこで衣笠さんから「俺は大丈夫。それより危ないから早くベンチに帰れ」と言っていただいたのを覚えています。

 それでも動揺してしまった私は、その後に崩れて8-8の同点引き分け。宿舎に帰って、衣笠さんの自宅に謝りの電話をかけました。「大丈夫だから心配するな。それより、勝っていた試合に勝てなくて、お前は損をしたんだぞ」と逆に気遣っていただきました。「なんて人格者なんだ」と感動しました。

 話はこれで終わりません。翌日、骨折していると聞いて、がくぜんとしました。試合になんか、出られないだろうと、勝手に落ち込んでいました。そうしたら代打で出て来たんです。ホッとしたというより、まさかのビックリです。驚きが覚めない中、江川さんの1ボールから2球目をフルスイング。次も、その次もフルスイングです。3球振って空振り三振ですが、あれほど驚き、感動し、感謝した三振はありません。プロのすごさというものを、痛烈に見せていただきました。「1球目はファンのため、2球目は自分のため、3球目は西本君のために振りました」と話されたのを伝え聞きました。あの言葉は一生忘れません。その後、衣笠さんが記録を達成するたびに、うれしかったし、ホッとしたものです。

 プロの厳しさを教えていただいたのに、私は心の中で誓いました。「衣笠さんだけは厳しく内角を攻めるのをやめよう」と。よくホームランを打たれました。天国の衣笠さんからは「お前はプロとして甘かったな」と言われるかもしれませんが、こんな人格者に対し、死球を当てたらいけない、と私の中で勝手に思っていました。引退なされた後も「ニシ! 元気にしてるか」とよくお声をかけていただき、かわいがってくれました。心からお悔やみ申し上げます。(日刊スポーツ評論家)