骨折梶谷「次に折れても」勝利奪うダイブ&適時打

8回裏広島2死満塁、梶谷は新井の右邪飛をダイビングキャッチして、そのままフェンスにぶつかる

<セCSファイナルステージ:広島0-3DeNA>◇第3戦◇14日◇マツダスタジアム

 左手薬指末節骨を骨折しているDeNA梶谷隆幸外野手(28)が攻守で貢献し、チームの勝利を呼び込んだ。2点リードの5回2死一、三塁。広島の先発黒田から追加点となる右前適時打。守備では8回2死満塁のピンチで右翼へのファウルフライをダイビングキャッチ。10日のCSファーストステージ巨人戦で内海から死球を受け負傷交代。激痛から、試合後は足がふらつく状況でも、気迫あふれるプレーを披露した。

 痛いはずの左手を懸命に伸ばした。骨折している梶谷が8回2死満塁、新井の打球を追いかける。「ボールしか見えなかった」と無心で走り、右翼ファウルゾーンのフェンス際の打球をフェンスに当たりながらダイビングキャッチ。薬指が圧迫されないようにグラブは切っているため、患部は直接地面に触れ、激痛が走った。それでもボールは離さなかった。スーパープレーで最大のピンチを救った。

 打席では一振りにかけた。フルスイングは出来ないが、この打席だけは違った。2点リードの5回2死一、三塁。黒田のカットボールを左手で押し込み、右翼前に運んだ。骨折だろうとCSファイナルステージ初打点。「けがは気にしない気持ちで。もう骨は折れてるので次に折れてもどうってことないので」と必死のプレーがチームの勝利を呼び込んだ。

 試合後は立ちくらみするほどの痛みに襲われ、脂汗が止まらない。「足元がフラフラする」。内海から死球を受けたときは、裏のロッカールームで悔し涙を流した。それでも恨みはない。

 梶谷 憎んでも仕方ない。これで試合に出なかったら、内海さんに申し訳ないでしょ。

 優しさと男気(おとこぎ)あふれるからこそ、骨が折れてでも、試合に出続けている。

 2年前も同じだ。14年の8月。中日戦で筒香と激突し、筒香は緊急搬送され、そのまま入院。当時も「ゴウ(筒香)のために」と自身も上半身に痛みはあったが出続けた。筒香が不在の期間に決勝アーチを放っていた。「その時も今も気持ちは同じ。人のためにも何とかしたいし、試合に勝ちたいから」と勝負師としての気持ちが、体を動かしていた。

 「ここまで来たら根性」と不敵な笑みを浮かべた。負ければ今シーズンが終了する1戦でチームを救った。骨は折れても、梶谷の心は折れていなかった。【細江純平】

<骨折しても出場した鉄人>

 ◆マニエル(近鉄) 79年6月、アゴに死球。56日後にフェースガード付きヘルメットで復帰。

 ◆衣笠(広島) 87年に2215試合連続出場の当時世界記録。その間、左手首亀裂骨折、左肩甲骨骨折、左手親指亀裂骨折を乗り越えた。

 ◆野茂(近鉄) 93年10月1日に打球を受け、頭蓋骨骨折。翌日に退院し、8日後には勝利投手。

 ◆秋山(ダイエー) 99年9月8日、死球で左頬骨(きょうこつ)骨折、全治2、3週間と診断。10日後に特注ヘルメットで復帰。

 ◆金本(阪神) 04年に岩瀬(中日)から左手首に死球を受け骨折。翌日も強行出場し、右手1本で2安打。

 ◆中村(西武) 08年5月に死球で左頬骨折。全治4週間の診断も欠場せず。10年3月には眼窩(がんか)底骨折も開幕から出場。

 ◆大谷(日本ハム) 13年7月11日の試合前の練習中、打球が当たり右頬骨骨折。3日後のロッテ戦(札幌ドーム)で代打本塁打。