<さよならプロ野球>

 2014年も多くの選手が球界の第一線を退いた。「さよならプロ野球」で新たな人生を歩み出した元選手を紹介する。

 聞き慣れない病名にも動じなかった。楽天井坂亮平投手(30)は12年10月、黄色靱帯(じんたい)骨化症と診断された。巨人越智が患った病気と聞き「それで、分かりました」。国指定の難病だ。ショックを受けてもおかしくないが、「原因が分かって良かった。モヤモヤしたものが取れました」。むしろ、暗闇に光が差した。そこまで、追い込まれていた。

 左足の違和感はその年の春に出た。すぐ疲れる。付け根の臀部(でんぶ)は張ったまま。うまく動かせなくなった。「筋肉に原因があるのかなと。でも検査しても見つからない」。前年は星野監督(現シニアアドバイザー)の下、入団3年目で自己最多の3勝。186センチの立派な体。素質が開きかけた直後、暗闇に襲われた。

 仙台、東京、横浜。原因が分からず、全国の病院を転々とした。あらゆる検査を受けた。脳も調べた。激痛に耐え、ブロック注射やヤンキース田中も行ったPRP治療も受けたが、いっこうに改善しない。秋となり、たどり着いた福島で、やっと骨化症が判明。12月、手術を受けた。

 実は、戦力構想から外れていたが、球団が育成選手としてリハビリを続ける道を与えてくれた。「良かった自分をまた見せられるチャンス」と切り替えた。13年9月。2軍の最終戦で復帰。1回無失点。「トレーナーさんに恩返しできました」。今季は2軍で19試合に投げたが、支配下には戻れなかった。1軍復帰はかなわないまま、ユニホームを脱いだ。

 現在は郷里の茨城に戻り、一般企業への就職を目指し活動中だ。後半は難病に苦しんだ6年間のプロ生活。「苦しいことの方が多かった」と正直だった。ただ、闘病経験は「いつか野球に携われたら、ものすごくプラスになる」と前向きに捉えている。人にない苦労をした。その分、これからの長い人生で生かせる引き出しを得た。【古川真弥】

 ◆井坂亮平(いさか・りょうへい)1984年(昭59)10月19日、茨城・取手市生まれ。藤代、中大、住友金属鹿島(現新日鉄住金鹿島)を経て、08年ドラフト3位で楽天入り。1年目の5月西武戦でプロ初登板初先発初勝利。13年から育成選手。通算37試合に登板し7勝12敗、防御率4・96。186センチ、75キロ。右投げ右打ち。