戦国武将・長宗我部元親の末裔(まつえい)が、社会人野球の“天下”を目指す。東都大学野球リーグの4年生の進路が28日までに、ほぼ出そろった。亜大・長曽我部竜也内野手(4年=新田)は、来春からJR東海に入社する予定。遊撃手としての堅実な守備と、粘り強い打撃が持ち味で、3年春には「戦国東都」の首位打者に輝いた。リーグ史上最多タイの6季連続優勝を支えた名脇役が、新たな舞台に挑戦する。

 その瞬間、1年1組の教室はざわついたという。現代社会の教員免許取得のため、亜大・長曽我部は11月に教育実習を行った。本来は母校新田高(愛媛)に行くはずが、予定が合わず、紹介を受けたのが偶然にも高知高だった。かつて長宗我部家が統一した「土佐国」のお膝元だ。

 「今日から教育実習にきた、長曽我部です」。43人の生徒が口々に何かを言い合い、すぐに質問が飛ぶ。

 「末裔ですか?」

 うなずく長曽我部。教室には歓声が上がった。「高知を治めたあと、四国を治めたんだぞって、プチ自慢しました」と笑った。それほど、高知での長宗我部人気は絶大なのだ。

 愛媛・松山市の自宅には、長宗我部家の家紋が飾られている。何代目かなどの記録は残されていないが「父からは、直系と聞いています」と、長宗我部元親の子孫に当たる。名前の「竜也」は坂本龍馬の「龍」の字から字画を変えてもらったもので、四国の歴史が凝縮されたネーミングだ。

 グラブには長宗我部家の家紋を入れて、「戦国東都」を戦い抜いた。170センチ、65キロと小柄だが、バットを指10本分短く持って食らい付く。昨春首位打者を獲得したが、それより誇るのが四死球の多さ。2番や8、9番を務めながら、今春は阪神ドラフト3位の強打者、駒大・江越大賀外野手(21=長崎海星)に並び1位の8個。昨秋は1位江越の11個に次ぐ、2位の10個を稼いだ。「ピッチャーが嫌がるバッターになりたい」と、相手投手を苦しめた。

 戦うDNAは誰にも負けない。「先祖がすごいので、変なことはできないです。負けん気は人よりあると思います」。社会人野球の“天下”を目指し、新たな戦に出陣だ。【前田祐輔】

 ◆長曽我部竜也(ちょうそかべ・たつや)1992年(平4)7月19日、愛媛・松山市生まれ。4歳でソフトボールを始め、小2から「道後リトルリーグ」で遊撃手として野球を始める。新田(愛媛)では3年夏に県大会4強。家族は両親、兄、弟。170センチ、65キロ。右投げ左打ち。

 ◆長宗我部家

 戦国時代に土佐国(高知)を統一した日本の武家。第21代長宗我部元親の時代に最盛期を迎える。1539年に生まれた元親は、土佐を統一後、織田信長と同盟を結び、阿波、讃岐、伊予に侵攻。1585年に四国全土を統一したとされる(完全に統一はしていないという説もある)。勇猛な武将で数々の戦果を挙げたが、最後は豊臣秀吉に降伏した。