年寄荒磯を襲名した元横綱稀勢の里の引退に、入門以来、まげを結ってきた床山の床鳴(43=田子ノ浦)は、人一倍さみしそうにしていた。引退から数日後の朝稽古後のこと。「横綱の大銀杏(おおいちょう)を結うのも、あと1回か…」とつぶやいた。原則として、9月29日の断髪式が今後唯一の大銀杏になる。こみ上げるものがあった。

荒磯親方が初めて大銀杏を結った日のことは、今も鮮明に覚えているという。「まだ幕下でしたが、巡業で初めて十両の土俵に上がる時でした。当時から、すごく大銀杏の似合う人でした」。当時から風格が漂っていたという。当時は17歳、四股名は本名の「萩原」だった。

同親方が入門したころは「剛毛というか、髪の量が今の2倍ほどあった」と振り返る。だが「激しい稽古ですり切れて、量も少なくなって、髪質も細くなる。でも、それが出世にはつきものですから」。2度の優勝時も、引退を決断した今場所3日目も、稀勢の里は常に物静かな床鳴にまげを結ってもらい、取組後の興奮を抑えてきた。荒磯親方になった今も、名残惜しそうに毎日、まげを整えに部屋に現れている。【高田文太】