日米プロレス界のレジェンドで、1964年東京五輪レスリングヘビー級代表としても活躍したマサ斎藤さんが14日に死去した。健介オフィスが16日、発表した。75歳だった。

 マサ斎藤さんは引退した99年ごろに難病のパーキンソン病を発症。懸命のリハビリと闘病生活を長く続けていた。

 マサ斎藤さんの略歴は次のとおり。

 ◆明大出身 本名は斎藤昌典。1942年(昭17)8月7日、東京都北区生まれ。

 ◆レジェンド 65年6月、日本プロレスでデビュー。67年に渡米し、長期にわたり米国で成功を収めた。獲得タイトルはWWFタッグ王座、AWA世界ヘビー級王座など多数。得意技は自身で考案したひねりを入れたジャーマンスープレックス、監獄固め。

 ◆巌流島の戦い 87年10月、山口の「巌流島」で行われたアントニオ猪木との時間無制限ノーレフェリー、ノールール、無観客マッチ。2時間5分14秒の死闘の末、立会人裁定で敗れた。

 ◆発掘&指導 ビッグバン・ベイダー、スコット・ノートン、ドン・フライらを見いだす。05年に佐々木健介、北斗晶が立ち上げた団体では、全日本3冠ヘビー級王者宮原健斗、ノアのマサ北宮らを育成した。

 ◆逸話 熊と戦ったことがある。ホーガンとの抗争で人気が爆発し、米国で「ミスター サイトー」というカクテルができた。84年に同僚レスラーの警察官とのけんかに巻き込まれ、1年半、米国で収監された。2ダース以上ビールを飲み、特大サイズのピザを2枚食べるのが日課だった。