プロ格闘家でK-1、HERO's、UFCなどで活躍した日本を代表するファイター、山本“KID”徳郁さん(本名岡部徳郁=おかべ・のりふみ、旧姓山本=KRAZY BEE)が18日、胃がんのため療養中のグアムの病院で亡くなった。41歳だった。

元K-1王者の魔裟斗(39)が18日、2度戦った山本“KID”徳郁さんの突然の訃報を受けて「格闘技界を一緒に盛り上げてきた大事な仲間が逝ってしまった」と悲痛な思いを吐露した。04年の大みそかの初対戦を機に、重量級が中心だったK-1に中量級で一大旋風を巻き起こした盟友の死を悼んだ。

魔裟斗はKIDさんの死の公表から6時間後、自らのインスタグラムでライバルの早すぎる死を悼んだ。

「先ほどKIDの悲報を知りました。2004年大晦日に対戦して以来、格闘技界を一緒に盛り上げてきた大事な仲間が逝ってしまった」

2人は04年の大みそかに「K-1 Dynamite!!」で初対決した。魔裟斗は当時、K-1のリングで圧倒的な強さを誇り、03年には「K-1 WORLD MAX」で世界王者に輝いたばかり。強気の性格も含め「反逆のカリスマ」と呼ばれた。

一方、KIDさんはレスリング一家の長男としてシドニーオリンピックを目指したものの、総合格闘家に転身。01年に総合格闘技団体「修斗」でデビューするや、驚異的な身体能力とレスリング仕込みの組み技、パンチ力で連勝を重ねた。「K-1」のリングで組まれた総合格闘技ルールの試合でも破竹の勢いで勝ち続け、「俺は、格闘の神の子」と自ら明言。04年10月「K-1」のリングで勝利した直後、会場にいた魔裟斗に「年末に試合でもしない? 日本を一緒に盛り上げようよ」と挑戦状をたたきつけ、試合が生まれた。

KIDさんは圧倒的な自信に満ちていた。投げ技や寝技がある総合格闘家だが、打撃技のみのK-1ルールという魔裟斗の土俵で戦うことを受け入れた。カリスマK-1ファイターと飛ぶ鳥を落とす勢いの総合格闘家が対戦する「中量級夢の一戦」として大みそかの日本が、盛り上がった。試合は格闘技史に残る名勝負と評価された。中量級が地位、価値を認められた瞬間だった。

魔裟斗は09年に引退したが、15年大みそかに東日本大震災チャリティーイベントで復帰し、KIDさんを対戦相手に選び、再び3回判定勝ちした。「2015年に対戦した時には試合終了後に『また10年後に!』と言っていたのにとても残念です」。KIDさんの早すぎる死で、2人の3度目の対戦は悲しく散った。

◆04年「Dynamite!!」VTR 総合格闘技デビューから連勝を重ねていたKIDさんが、実力と人気を兼ね備える魔裟斗に挑戦状をたたきつけ、対戦が実現。下馬評を覆し、KIDさんが1回1分42秒に左フックで最初にダウンを奪うと会場の興奮は一気に高まった。魔裟斗の蹴りがKIDさんへの金的となり、試合が一時中断する場面もあった。その後は経験で勝る魔裟斗が2回に右ハイキックでダウンを奪い返し、3-0で判定勝ちした。