まだまだ進化を-。左肩付近のけがに打ち勝って新横綱優勝を果たした稀勢の里(30=田子ノ浦)が一夜明けた27日、大阪市内の田子ノ浦部屋宿舎で会見した。日本中が「稀勢の里フィーバー」で沸く中、ケガした体と相撲内容を反省。37年夏場所の双葉山以来、80年ぶりとなる初優勝からの3場所連続優勝が懸かる夏場所(5月14日初日、東京・両国国技館)に向けて、今場所以上の内容を求めることを誓った。

 やり遂げた男の顔があった。歴史的な優勝から一夜明けた会見。約100人の報道陣だけでなく、外には大勢のファンも駆けつけていた。穏やかな表情で現れた稀勢の里は「ようやく終わったな、という感じです。一生の思い出になるような、そんな大阪場所でした」とにこやかに語った。

 13日目の日馬富士戦で負ったけが。部位などは明かさなかったが、痛みは「ほぼほぼない。検査があるけど、大丈夫だと思う。2日相撲を取れたので大したことない」と笑い飛ばした。4月2日からの春巡業についても「痛みはないから多分、大丈夫だと思うけど。行けるのであれば出る。ダメであれば、しっかり休む」と帰京後の検査次第では参加する意思すら示した。

 それよりも口にしたのは反省の弁だった。「15日間、万全な状態で務め上げるのが使命。見苦しいテーピングをしなくてはいけない状況になってしまった自分が一番悪い。反省です。けがしてしまった。(表情を)すまして取れなかった」。悪化させる不安についても「右手があるからね。(手は)2本あるからという気持ちでやりました」と笑い「やると決めた以上、あきらめないでやろうと思った」。こんな思考回路。稀勢の里以外、持ち得ただろうか。

 19年ぶりの日本出身横綱として臨み、けがに打ち勝ち、22年ぶり8人目の新横綱優勝。日本中が沸いた。そんな騒がしさも「外に出てないから分からない」とどこ吹く風。「うれしい半面、これ以上のモノを自分に求めてやっていきたい。これで終わりじゃないと思っていますから」と言った。

 優勝制度が制定された1909年夏場所以降、初優勝からの2連覇は朝青龍以来14年ぶり7人目だった。これが3連覇となると、37年夏場所の双葉山にまでさかのぼる。80年ぶりの偉業に挑む来場所は、目標だった東の正横綱に就く。だが「そこに満足することなく、もっともっと上を目指す気持ちでやっていく。こういう優勝を目指してやっていく。維持するのではなく、1つ1つ階段を上っていく気持ちで追い求めて、やり続けて」。絶頂ではない。まだ進化する。稀勢の里の伝説は、まだまだ終わらない。【今村健人】