大相撲の中で脈々と息づいてきたものが、「格」だった。数字や明確な定義では測れるものではない。現役時代の相撲で見せつけてきた強さと風格、そして実績で、力士の間では絶対的な序列を示す指標だった。

その「格」という価値観は、代々の大横綱の中で受け継がれてきた。私が担当記者として知る限りでは、その出発点は大鵬さんだった。32回の優勝を誇り、日本相撲協会が初めて一代年寄を決めた、大功労者だった。その大鵬さんを「相撲の神様」として慕い、酔えば「おやじ」と呼び、心から敬愛していたのが北の湖さんだった。北の湖さんは優勝24回で、「憎らしいほど強い」と言われ、負けてニュースになる圧倒的な強さを誇っていた。

貴乃花親方は、その2人にとてもかわいがられていた。毎年5月、大鵬さんの誕生日には、北の湖さんが必ず訪れた。北の湖部屋は、大鵬部屋(いずれも当時)から徒歩2分の距離。大鵬さんは二所ノ関一門、北の湖さんは本家本元の出羽海一門の、それぞれ一門をまとめる親方衆の中でも圧倒的な存在だった。

その特別な席に、貴乃花親方も短時間でも駆けつけ、大鵬さんの誕生日を祝っていた。そこで、大鵬さんは出席者が何人もいる中で、貴乃花親方に対していつも優しい口調でこう諭していた。「自分だけで強くなったんじゃないんだよ。みんなで相撲協会を繁栄させていかなきゃいけない。理事長(北の湖さん)を支えて、他の親方衆ともちゃんと腹を割って話をしないとだめじゃないか」。

貴乃花親方にとっては耳が痛い内容ばかりだった。しかし、貴乃花親方は笑顔で「はい」とうなずき、そして大鵬さんの低音で、ゆっくりとした言葉に耳を傾け、また「はい」。素直に返事をしていた。そんな様子を、北の湖さんはいつも黙って見ながら、淡々と杯を重ねていた。

貴乃花親方は自分に苦言を呈してくれる大鵬さんを敬っていた。両国の国技館の地下駐車場で、大鵬さんがゆっくりとした動作で、付け人の手を借りながら車に乗り込もうとしていると、必ずそばにきて「お疲れさまでございます」と、丁寧にあいさつをしていた。素通りするなどという失礼はしたことがなかった。むしろ、ちょっとした瞬間に、とっさに大鵬さんの右手に手を添えて介助する優しさも見せていた。そんな時、大鵬さんはひときわうれしそうな顔を浮かべた。そんな2人の様子は厚い信頼関係でつながっていると感じさせた。

それが、たとえ貴乃花親方よりも先輩親方であろうと、反目していれば決然とした態度で視線も合わせない。はっきりしているというよりも異様だった。体から緊張感をみなぎらせ、絶対に寄せ付けない迫力を放っていた。

北の湖さんは、理事長時代に「貴乃花はいずれ理事長にならないといけない。それが大鵬さんの願いであり、俺はそれまで頑張らないといけない」と言い、貴乃花理事長時代まで相撲協会を支える決意を何度も口にしていた。

大鵬さんはよく語りかけ、何度でも注意を促し、北の湖さんは黙って見守る、そういう中で貴乃花親方は協会の中枢への道を上っていくはず、だった。大鵬さんが亡くなり、北の湖さんも病に倒れ、他界した。

土俵で強かったこと、後輩力士をかわいがり人望があったこと。それが優勝回数だけで表せないお相撲さんの「格」として、相撲界では大切にされてきた。貴乃花親方が大鵬さん、北の湖さんから伝承された「格」は、とうとう貴乃花親方でついえてしまう。本来、貴乃花親方が後進にそれを伝えていかなければならなかった。それができなかった不器用さであり、まだまだ貴乃花親方には2人の大横綱の愛情が必要だったということか。言い換えれば、それだけ孤独で、現在の相撲協会では突出した存在だったということなのかもしれない。【井上真】