60年代後半に活躍した演歌歌手、バーブ佐竹(享年68)のキャッチフレーズは「顔じゃないよ、心だよ」だった。決して見栄えの良くない顔で、心に染みる低音で歌う。そんなバーブをまんまに形容した言葉である。東京五輪と大阪万博にはさまれた「いい時代」に、人を外見で判断してはいけないという心構えを実にシンプルに言い表していた。

 ドイツ映画「50年後のボクたちは」(ファティ・アキン監督、16日公開)は、そんな当たり前だが、いつの間にか心の隅に追いやられている「教え」を思い出させる。

 14歳のオタク風少年マイク(トリスタン・ゲーベル)はクラスのはみ出し者だ。ひそかに思いを寄せるマドンナからは完全に無視されている。東洋系の顔立ちの転校生チック(アナンド・バトビレグ・チョローンバータル)にはロシアン・マフィアの子弟といううわさもあり、こちらも孤立している。

 夏休み。マイクの暮らしは裕福だが、父は愛人と出かけ、母はアルコール依存症でリハビリ施設に入っている。邸宅にポツンと取り残された彼の元にオンボロ車を調達したチックが訪ねてくる。チックの発案で2人は当てのない旅に出る。

 街を離れれば広大な自然、巨大な風力発電機…いかにもドイツらしい風景が広がる。

 心は満たされなくても経済的には不自由ない生活を送ってきた2人は缶詰を持ってきても缶切りを忘れ、冷凍食品もライターだけでは温めることができない。不良ぶっても、「箱入り生活」をしてきた2人の素顔が浮き上がる。

 貧しくても、底抜けに幸せそうな一家にシンプルだが温かくおいしい料理をごちそうになったり、ボロをまとってがさつだが、心のきれいな同年代の少女に出会ったり…。

 こう書くと、「顔じゃないよ、心だよ」をそのままなぞったエピソードのようだが、ドイツ風、現代風のディテールがしっかり描かれていて、興味が先に立つ。いつの間にか心に染みる。2人はそんな世間のもろもろにもまれ、みるみるうちに顔が「大人」になっていく。

 高台から景色を見晴らしながら、少年2人に途中参加の少女を加えた3人が、50年後の再会を誓う象徴的な場面がある。目の前のちまちましたことではなく、彼らは50年後に思いをはせられるようになったのである。見栄えを気にし、周囲との折り合いに汲々とするクラスメートや親世代を高みから見下ろす図式だ。

 旅は予期せぬアクシデントで突然幕を閉じるが、新学期の少年は見違えるようにたくましくなっている。目線を合わせるようになったマドンナ少女に対してもも、薄っぺらさが透けて見えて逆に相手にしない。

 原作はドイツで220万部を売った「14歳、ぼくらの疾走」(ヴォルフガング・ヘルンドルフ著)。背景には社会の成熟があり、2人の少年の暴走も実は豊かさにしっかりくるまれている。甘えととるムキもあろうとは思う。が、だからこそ、ドイツ社会にある意味似ている日本の私たちが、2人の旅に感情移入して楽しめるという側面も否めない。

 世間のうわべを泳がざるを得ない毎日で、自分の心の奥底をのぞいてほっとできる作品だ。【相原斎】