8月12日、1985年の日航123便墜落事故から32年目の夏を迎えた。520人の犠牲者の中に、取材したことのある女優がいた。宝塚歌劇団出身の北原遥子さん。24歳だった。

 初めて取材したのは83年3月。入団2年目だった北原さんは宝塚歌劇団雪組の娘役ホープとして注目されていた。同期には後にトップスターとなる涼風真世、真矢ミキ、娘役トップになった黒木瞳、毬藻えりがいた。北原さんは新人公演でヒロインを演じ、黒木とともに大阪の情報番組のアシスタントを担当していた。宝塚でも際だった美しさで話題となっていたが、会ってみると、素直で気さくな女の子だった。取材から数カ月後、暑中見舞いのはがきが届いた。「また取材に(?) 来てくださいね」と書き添えてあり、ちゃめっ気もあった。

 84年に退団した後、石立鉄男さん、夏目雅子さんが所属した「其田事務所」に入った。舞台にも強い事務所で、亡くなる3カ月前の5月にはミュージカル「カサノバ85」に出演している。石立さんが主演し、作・演出は「ショーガール」の生みの親の福田陽一郎さん。北原さんはヒロインを演じ、あまり得意ではなかった歌にも懸命に取り組んでいた。

 事務所の先輩で、3歳年上の夏目さんにも妹分としてかわいがられた。夏目さんは85年2月、主演した舞台「愚かな女」を途中降板し、入院した。急性骨髄性白血病だった。北原さんの死から1カ月後の9月11日に27歳の若さで亡くなった。くしくも、北原さん最後の舞台「カサノバ85」、夏目さん最後の「愚かな女」ともに、西武劇場(後のパルコ劇場)の公演だった。

 北原さんは事故から5日後の17日に両親によって遺体が確認され、18日に通夜、19日に葬儀が行われた。葬儀には宝塚の同期をはじめ、石立さん、樹木希林、世良公則ら約500人が参列した。北原さんは港区三田の玉鳳寺で眠っているが、宝塚歌劇を創立した小林一三翁の墓がある大阪・池田市の大広寺の慰霊碑「宝友之塔」にも北原さんの名前が刻まれている。宝塚在団中か退団後に亡くなった宝塚の生徒のための慰霊碑で、そこには原爆で亡くなった女優園井恵子さんの名前も並んでいる。

 同期の黒木、涼風、真矢らの活躍を見るに付け、生きていたら、どんな女優になっていたかと思う。人気脚本家市川森一さんの脚本で、その年の11月放送の東芝日曜劇場1500回記念ドラマ「星の旅人たち」の主役に決まっていた。女優として大きく羽ばたく直前だった。【林尚之】