歌舞伎座で襲名興行中の松本金太郎あらため市川染五郎(12)に10年間にわたり密着したテレビ番組を見ていて、懐かしい顔に出会った。歌舞伎俳優市川八百稔(いちかわ・やおとし)さん。14年に77歳で亡くなっている。

 1959年(昭34)に9代目市川八百蔵に入門した。以来歌舞伎一筋で、俳優として数々の舞台に出演する一方、65年からは子役の化粧も担当した。子役時代の片岡孝太郎、片岡愛之助、市川猿之助らも八百稔さんのお世話になった。子役の化粧や楽屋舞台の補佐として欠かせない貴重な存在としての功労が認められ、07年には日本俳優協会賞功労賞を受賞している。

 新染五郎も2歳で初お目見えした時から世話になった。いつも明るく、一生懸命な姿に、染五郎も「ヤオじい」と呼んで、すぐに懐いた。巧みに緊張を和らげ、染五郎も安心しきって、化粧されながら眠ってしまうこともしばしばだった。何をしても怒らない八百稔さんに、いたずらすることもあった。そばにいるだけで心が安らぎ、大好きだった。

 しかし、8歳の時に突然、別れが来た。支度ができても、染五郎の出番直前までそばで見守り、芝居が終わると「また、明日な」と帰っていった八百稔さん。父松本幸四郎は、染五郎が次の月に歌舞伎座に出演するため「お願いしますね」と約束していたが、かなわずに終わった。身近な人の初めての訃報に、染五郎は大泣きしたという。

 以来、染五郎は自分で化粧をするようになった。8歳といえば、普通なら、まだ化粧の時に人の手を借りる年齢だが、染五郎は誰にも任せようとしなかった。襲名興行の楽屋にある鏡台のわきに「ヤオじい」との写真を置いてある。そして、形見でもある百円ライターも手元から離さない。ライターは眉をつぶすびん付け油を柔らかくする時に使うもので、八百稔さんがいつも使っていた。黙々と化粧する染五郎の傍らに、宝物のようにいつも百円ライターがある。

 中村勘三郎さんも八百稔さんを愛した1人だった。「野田版 鼠小僧」で、勘三郎さんが八百稔さん演じるおじいさんを蹴飛ばす場面もあった。それを勘三郎さんは気に入っていたという。普段でも、勘三郎さんは八百稔さんに会うと、「おい、じじい、死にそうか?」と聞き、八百稔さんが「ふざけんな」と言い返すのが、毎日のあいさつ代わりのやりとりだった。そういう会話が出来る、厚い信頼で結ばれた仲だった。歌舞伎は、一般にはあまり知られることはないけれど、人気役者から子役までに愛される、裏方の人たちに支えられている。【林尚之】