作曲家の曽根幸明(そね・こうめい)さんが20日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。83歳。東京都出身。葬儀は今日23日に密葬で行い、後日「しのぶ会」を開催する。喪主は妻きよ美さん。

 関係者によると、曽根さんが体調を崩して入院したのは今月上旬。危篤状態で集中治療室(ICU)に入ったが、もともと片方の肺が機能していなかったことに加え、もう1つの肺の半分も機能していなかったという。最後はきよ美さんにみとられながら旅立った。 曽根さんは、戦後にバンドマンとして活躍。その後、藤田功の芸名で歌手デビューをした。作曲家に転身した後は、勝新太郎の「座頭市子守唄」藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」、森進一の「銀座の女」などのヒット曲を手がけた。テレビ、ラジオ番組でも活躍した。

 長女のシンガー・ソングライター曽根由希江(31)は22日にブログで父の死去を報告していた。「15年の闘病生活での幾度となる危機も3月から異変を感じ入院して危篤になってからの長い戦いも一度たりとも生きることを諦めない父は最期まで本当に強い人でした。完全に半身不随でも、父は片手で譜面を書き、毎日日記をつけ、リハビリをして、ピアノを弾こうと、脳が壊れても作曲をしようと何度も挑戦していました。片目が失明しても毎日見る時代劇や野球を楽しみにしていました。耳があまり聞こえなくなっても私のラジオやピアノを、歌を、いつも聞いてくれていました。とにかく名前をいつも大声で呼んでいました」などとつづった。

 これまでに脳梗塞、心筋梗塞、バイパス手術、前立腺ガン、敗血症、帯状疱疹(ほうしん)、糖尿病など、多くの病魔と闘ってきたことも報告。「私たちは父のことをもはや“不死身の男”と呼んでいました(笑い)。車椅子でも、身体が動かなくなっても、父がそこにいるだけで、笑っているだけで、私たちはずっとずっと父に守られていたんです。15年の介護で父を支え続けた、いつだってとびきり明るくかわいく芯のある偉大な母と、強く、大きく、破天荒で、お調子者で、自分勝手で、でも気遣い屋で、子煩悩で声がデカくて、優しく、明るく、懐深く、どんなキツイ経験をしてきても生き抜いた。ただただ忍耐の男。偉大すぎる父です」などとしのんでいる。

 由希江は曽根さんの死をきっかけに、長女だと初めて明かした。27日に東京・渋谷7th Floorで行うライブで、曽根さんの代表曲の1つ「夢は夜ひらく」を初めて歌唱するという。「これが父への恩返しと信じています」としている。