「山のあな、あな」で有名な「授業中」などの新作落語で人気を集めた元落語協会会長の落語家三遊亭円歌(さんゆうてい・えんか)さん(本名中沢円法=なかざわ・えんぽう)が23日午後1時25分、結腸がんによる腸閉塞(へいそく)のため都内の病院で亡くなった。85歳だった。

 ◆落語協会会長の柳亭市馬(55) 70年以上にわたり演芸会のために尽力し、落語協会を引っ張ってきてくださいました。日本中の誰もが知っている新作落語で「笑いすぎて困っちゃう」とお客さんに言わせる漫談をやり続けたことは、古典落語こそ落語だと言われていた時代に大変なご苦労があったと思います。しかし、自分の信念を曲げず大衆を笑わせ続け、寄席にお客さんを呼びました。

 ◆上方落語協会会長の桂文枝(73) 同じ新作派ということでもかわいがっていただき、師匠から「自分は寡作派で、練り上げてゆく方だけど、君はたくさん作りなさい。いずれ落語界の財産になるから」と言っていただきました。本当に親切にしていただき、感謝しかありません。

 ◆落語協会顧問の三遊亭金馬(88) 兄弟分のような存在。一番けんかをしたし遊び仲間で、威勢のいい面白い男だった。いつでも、ふざけ合っていた仲だった。同じ頃に真打ちに昇進し、襲名したこともあり、いろんな縁があった。亡くなったことに実感が湧かない。でも、寄席に行っても会えないのだろう。さみしい。

 ◆落語協会最高顧問の鈴々舎馬風(77) 落語界にとって大きな損失で、とにかく寂しい。林家三平(先代)と三遊亭歌奴(後の円歌)が巻き起こした昭和の落語ブームはすさまじかった。どこへ行ってもお客の笑いが止まらないんだもの。弟子入りする若手も急に増えたし、どれだけ落語界に貢献したか。まだ前座だった僕も憧れて、あの独特の間をまねしようとしたけど、そうすると全部、円歌の落語になっちゃう。あの人はそこにいるだけでよかった。

 ◆演芸評論家・川戸貞吉氏 二つ目時代から初代林家三平と共に活躍し、あまり客が入らなかった戦後の寄席に大勢の客を呼んだ落語界の恩人だった。全国のどこに行っても爆笑をさらう、客をつかむ力がすごい落語家だった。新作落語派として初めて落語協会会長に就任した功績もある。3代目円歌襲名後は、師匠の2代目が得意とした古典に取り組んだことも印象的だった。