女優石橋静河(22)が、初主演映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(石井裕也監督、27日全国公開)公開にあたりニッカンスポーツコムのインタビューに応じた。2回目は、東日本大震災以降の閉塞(へいそく)感のある日本を描いた今作について、米国留学を踏まえて現代の日本を生きて思うこと、女優に転身した自分を語った。

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 -2月にベルリン映画祭に参加した

 石橋 (国内で見た)1回目の試写は、現場での記憶や言われたことがフラッシュバックのように出てきてしまって、全く作品として見ていられない…逃げ出したいくらいだった。ベルリン映画祭で2回目に見た時、お客さんは欧州の人だから反応がダイレクトに伝わって、自分もお客さんになって初めて見ることが出来た。文化の違いはあるけど、分かるという反応をしてくださった人が、思っていた以上に多かった。

 -ベルリンでは日本へのシビアな質問もあった

 石橋 映画は東日本大震災後の人の感情を描いていて「(登場人物が抱える)鬱屈(うっくつ)した感じを東京の人は感じているのか」とか、そういう質問がすごく多かった。(反応が)素直ですし、文化や映画の色を、ちゃんと理解しようとしてくれている。映画って、すてきなものなんだと感じることが出来ました。こういうふうに見てくれる人がいるなら、もっとやってみたいと思いました。

 -今の時代の日本を生きていて、どう思う?

 石橋 生きづらいというか、本当に息が詰まりそうな…特に東京は、あまりにも救いが少ないと感じます。東京で生まれ、家族がいて、大切なものがたくさんある場所だし、世界の人に「日本は?」と言われたら「東京」と答える感覚です。それが、この映画を見た時に普段、そこだけを見ていると苦しくてしょうがないから見て見ぬふりをしていた部分とか、ごまかして見ていたいところだけ見ていることに気が付いて…東京に対して、嫌いな部分もあるんだと感じたんです。

 -具体的には

 石橋 15歳で米国にバレエで留学し、13年に帰国しました。帰国してすぐ、東京の街で電車に乗っていて、困っている人をすぐに助けない人を見て「なんで今、助けてあげないの?」と思いました。米国やカナダは「大丈夫?」とまず言えるんですが、日本ではそれすら出来ない…すごく嫌だと思った。(その中で)自分の見たいところだけ見て、周りのちょっとした優しさが見えなかったり、こういうふうに人と関わるのは嫌だなと、諦めたように見るのを拒絶していた部分があった。(映画に出て)自分が思っているけれど、うまく言葉に表せなかったり、ただモヤモヤとしてあったものが、少しクリアになって見ることが出来た。(東京の)いい部分も悪い部分もハッキリ見えて、街にいても感覚が変わって、人に対する目線も少し分かり合えるような気がして。みんな言葉に出来ないモヤモヤ、葛藤があるから今、いろいろなことが起きているということが見えてきた。石井監督は、みんなが嫌だから見ないようにしているものをわざわざ見て、形にしてくれたんだなぁと。

 -海外にバレエ留学した

 石橋 15歳で米国に留学し、2年後にカナダのカルガリーに移ってバレエ学校に通いました。バレエは本当に難しい限られた人のもの、全てを注がないと出来ないもので、先生にも「身体能力的にも、あまり向いていないよ」と言われました。でも出来ないことが自分の中では面白くて、踊って体を動かすことで発散していた部分があったのと、今、外に出なきゃと感じて留学しました。バレエでは自分のやりたいところまでやった…でも、踊りからは離れたくない、広い表現をしたいとコンテンポラリーダンスを始めました。

 -女優に転身した理由は

 石橋 帰国して、パンの製造、劇場の案内、ケーキ屋さんなどアルバイトをしながら幾つかの舞台に出ていました。アルバイトは全部、あまり続かなかったんですけど(苦笑い)日本のダンサーって、本当に生活が苦しくて、踊っているだけでは食べていけない。お客さん自体も少ないし、本当に芸術をやろうとしている人が1番、生きづらい場所だと感じました。すごく面白い世界が広がっているんだけど、活動する場所がどんどん狭くなっていってしまうような感覚があって、もっと広い表現がしたい、面白いものと出会いたいと思ったあたりから邦画を見始めました。やりたいとは思わなかったけれど、何か引かれるものがあって…2014年くらいに「芝居をやってみませんか」とお話がありまして。食べていける、いけないは置いておいて、自分の知らない部分を知っていきたいと思った。

 -15歳で海外留学するのは簡単なことじゃない

 石橋 本当に大きな経験でした。最初の2年くらいは、ずっとホームシックで日本に帰りたいと思ったし、言葉もしゃべれず、友だちも少ないし、なじめなかった。でも踊りが面白い…そのためだけにいたんですけど、向こうで生活していると東京や日本のいろいろなことが見えた。留学して感じたのは、こうだと決めつけたくないということ。海外に行った人は「日本ってこういう国だから、海外はこうだから」と割と日本を低く見る。自分もそうだったんですが、そこに違和感がありました。海外で3、4年暮らしていると、いいところも悪いところも見え、日本のこういうところっていいかもと再発見できた。いろいろな国の人と話してみれば、似たようなことを感じているものです。

 -帰国してカルチャーショックを受けた

 石橋 (海外は)生活している場所が物理的に広いし、文化が全く違う。東京に帰ってきて、しばらくは、すごく生きづらいというか…自分の感覚をギュウギュウ小さくしていかなければいけない場所、苦しいなぁと、すごく感じた。それは、なかなか周りとは共有できない感覚でした。もちろん自分が生まれた場所だし、自分から慣れようとしました。でもそういうこと(疑問や苦しさ)に対して、どこかで諦めないと生活していくのがあまりにつらいから、多分見て見ぬふりをしていく場所が出来ていったと思った。今回の映画を見て「そういえば自分はそういうふうに思っていた」と思い出したし、ある意味、うれしかった。

 次回は石橋凌(60)と原田美枝子(58)の次女であることへの葛藤、その葛藤を乗り越えられた、初主演作について赤裸々に語る。【村上幸将】

 ◆「夜空はいつでも最高密度の青色だ」 詩人最果タヒ氏の16年の同名詩集を、石井監督が11年3月11日に発生した東日本大震災後の東京を舞台に、息苦しい現代に居場所を失った男女が出会う恋愛ものとして脚本、実写化した。美香(石橋)は昼は看護師、夜はガールズバーで働きながら不安と孤独を抱える日々の中、建設現場で働く慎二(池松壮亮)と出会う。