歌舞伎俳優・市川海老蔵(39)が23日、自主公演「市川海老蔵 第四回 自主公演 ABKAI 2017~石川五右衛門 外伝 ~」を上演中の東京・渋谷のシアターコクーンで会見を開き、妻の小林麻央さん(享年34)が22日、乳がんで亡くなったことを明らかにした。会見の一問一答は以下の通り。

 -最後に自宅で送ってあげることが出来た

 海老蔵 それは、とても良かったと思います。お母さまも、お父さまも、私も、お姉さんの麻耶さんも、子どもたちも、ずっと側にいられました。すごく良かったなと思います。私は父(市川團十郎さん)を病院で亡くしているので…。病院での時とは違う。家族の中で、家族とともに一緒にいられた時間というのは、かけがえのない時間を過ごせたと思います。

 -お子さん含めて、家族で送ることが出来た

 海老蔵 はい、そうですね。子どもたちも、見ていました。

 -麻央さんは闘病のつらい中でも勇気、愛情、笑顔を忘れずに闘ってきたと思う

 海老蔵 おっしゃるとおり笑顔と勇気と愛情…。そして決してブレない自分、どんな状況でも相手を思いやる気持ち…。愛ですよね。そういった力が最後までブレず、一昨日まで笑顔で話して…、昨日は、やっぱり調子が悪かった。我々家族も急にそうなって(容体が悪化して)しまったので、戸惑う部分が多かったです。

 -亡くなる前の麻央さんにどのような言葉を

 海老蔵 この世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話していました。

 -麻央さんはどんな存在?

 海老蔵 私の、どんな部分も、どこまでも愛してくれていた存在というのは…う~ん…存在ね。出来れば、ずっと一緒にいて、私の方が先に逝って…。彼女がもっと幸せに、もっと楽しく家族やお友だちや麻耶さんやお母さま、お父さま、私が役者として成長していく過程を、ずっと見守ってもらいたかった存在です。

 -麗禾(れいか)ちゃんと勸玄(かんげん)くんの様子は

 海老蔵 麗禾は、昨日はずっと麻央の側を離れませんでした。彼女の横で、ずっと「一緒に寝る」と言って寝ていました。認識はしていると思いますね。勸玄は、まだ分かっているんですけれど、分かっていないところもあって。今日の朝も、麻央の横になっているところで、2人が麻央の顔を触ったり、足をさすったり…そういうところを見ると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと…子どもたちに対して、とても大きなものがあるなぁと痛感しました。勸玄は、分かっていますけど、まだ分かっていないと思います。

 -麻央さんから学んだ大切なことを、どういったことを、これからも伝えていきたい

 海老蔵 元気になったら、彼女は自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、治ったらこうしたい、ああしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいと一生懸命、闘病していました。それでブログも始めたんです。マスコミさんのおかげである意味、公になってありがたかったと思います。ブログを始めて、何か同じ病の人たちや、苦しんでいる方々と、悲しみや喜びを分かち合う妻の姿は、私からすると何か…人ではないというか、何と言いますか…すごい人だなと。言い方、おかしいですけど…総合的に教わったこと、そしてまた、今後も教わり続けることは、愛なんだと思います。

 海老蔵は2人の子どもへの大きな責任を口にするとともに、自分に愛を教えてくれた麻央さんが今後も自分の中で生き続けることを強調した。