歌手で音楽プロデューサーの大滝詠一さん(65)が30日午後7時ごろ、東京都瑞穂町の自宅で倒れ、搬送先の病院で死去したことが12月31日、分かった。死因は大動脈解離。福生署などによると、大滝さんは家族と自宅で夕食をとった後、デザートでリンゴを食べている最中に倒れたという。1970年代から40年以上も活躍したヒットメーカーの急逝は、大みそかの音楽界に大きな衝撃を与えた。通夜・告別式の日程は未定で、密葬で営まれる予定。

 年の瀬に、突然の訃報となった。所属事務所は「家族で食事をとっている時に急に倒れた。すぐに救急搬送されたが、既に心肺停止状態で、病院で死亡が確認されました」と説明した。福生署などによると、家族は「リンゴを食べていてのどに詰まらせた」と話しているという。大滝さんは日ごろから健康に気を使い、酒もたばこもたしなまず、散歩やサイクリングといった適度な運動もしていた。大病の経験もなく、健康だったため、家族も知人も信じられない急逝だった。

 日本を代表する音楽家だった。早大時代の70年に、細野晴臣や松本隆らとバンド、はっぴいえんどを結成。解散後のソロ活動では自分のレコードレーベルを立ち上げ、75年に日本初のCM曲のレコード化(三ツ矢サイダー)を実現。81年には「君は天然色」「恋するカレン」が収録されたアルバム「A

 LONG

 VACATION」をミリオンヒットさせ、第23回日本レコード大賞ベストアルバム賞を受賞した。97年の12年ぶりのシングル「幸せな結末」も、木村拓哉主演のフジテレビ系ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌で話題になり、ミリオン超えの大ヒットとなった。

 プロデューサーとしても、大きな足跡を残してきた。73年に山下達郎や大貫妙子らのバンド、シュガー・ベイブを、81年には松田聖子のアルバム「風立ちぬ」をプロデュース。森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」など、数々の名曲を楽曲提供した実績もあった。ニューミュージックの先駆者であり、後輩ミュージシャンたちに憧れられた日本屈指のメロディーメーカーだった。

 03年シングル「恋するふたり」を最後に新曲はなかったが、05年からは自身の各アルバムを発売から30年たつごとに、リマスタリングして再発売する事業に精を出してきた。昨年も、唯一のオリコンチャート1位アルバム「EACH

 TIME」(84年)のリマスター盤を、11月まで制作していた。今年3月21日の発売も内定していた。

 9月20日に坂崎幸之助のラジオ「K’s

 TRANSMISSION」に飛び入りゲスト出演して、10月11日の薬師丸ひろ子のコンサートを見学に訪れたのが、公の場に現れた最後となった。40年以上親交のある知人は「19日にメールのやりとりをしたときは元気そうだった。突然すぎ、まさか亡くなるとは…」と絶句した。この年末も、3月のNHK-FMで放送予定だった「大滝詠一のアメリカン・ポップス伝パート5」の構成を練っていたところだった。

 ◆大滝詠一(おおたき・えいいち、本名・栄一)1948年(昭23)7月28日、岩手県生まれ。早大第二文学部中退。在学中の70年に、細野晴臣や松本隆らとバンド、はっぴいえんどを結成。73年の解散後は自身のレーベル「ナイアガラ」を創設。アメリカンポップスやロック、日本の歌謡曲などに影響を受けた高い音楽性で知られ、日本のポップス界をけん引した。