新潟県糸魚川市の大火発生から一夜明けた23日、現場には被害状況を確認しようと多くの住民らが訪れた。

 現場近くに住む小林昇さん(75)は、火元とみられる中国料理店の3軒隣に兄の家があったという。「火の手が早く、兄は風呂敷2つだけ持って逃げてきたと言っていた。私も25年住んでいた。仏壇も燃えてしまった。父がよく拾っていた翡翠(ひすい)の石がテレビ台の下に入っているのだが、それだけでも運び出したい」と話した。中国料理店については「私の父と創業者の中国人店主は仲が良かった。煮干しでだしをとっていて、大阪にいる私の孫も『あの店のラーメンが食べたい』と言うぐらい、うまいんだ」。

 会社員の清水映子さん(24)は「たまたま大阪からおばあちゃんに会いに来たら街が大変なことになっていた。燃えた酒蔵のある通りはメーン通りで、おもちゃ屋さんとか、お菓子屋さんとか何でもあった。糸魚川の銘菓『山のほまれ』の本店が無事なのか気になっています」と変わり果てた街の姿に驚いていた。

 その「山のほまれ」を販売する「御菓子司 紅久」の店主、安田貴志さん(48)は「店の近くにあった自宅は燃えてしまった。火事が起きてから1時間半ぐらいは普通に店を営業していたけど、火の手がすごくなったので家に戻ってホースで水を撒いていたがダメだった。店はなんとか大丈夫そうだと聞いているけど、見てみないとわからない」と話した。

 市内の高校に通う小川満宇さん(16)は、火災当時は高校の授業中だった。「昨日は高校の4階から火事の様子をみんな見ていた。よく行っていたケーキ屋さんも燃えてなくなってしまった。クリスマスのケーキも予約していたので悲しい」と話した。火元とされる中国料理店にも行ったことがあるといい、「友達に連れて行ってもらった。近くに先輩が住んでいて、火事のあとお店の夫婦が泣いて謝りに来たと聞いた」。

 火災は発生から約30時間後の23日午後4時半に鎮火された。現場近くに住む女性(80)は「鎮火してよかったけど、まだ気は抜けない。私たちの世代はこの街に火事がよく起こることを母たちから聞いている。この経験を、孫とか若い世代に伝えていかないといけない」と話していた。