前回の仲谷颯仁選手の取材を進めていくうちに、どうしてももっとお話を聞かせてほしい! と思ったのが師匠の川上剛選手(36=福岡)でした。

 はっきりとボートレーサーになる! と決めたのは18歳のとき。ご両親の離婚がきっかけだったと言います。

 「おやじが競艇選手(良雄さん=引退)だったんですけど、うちはものすごく貧乏で、ほんとドラマに出てくるような感じでおふくろが働いてたんです。だからボートレーサーになるって言った時には、一言、「やめとき」と言われましたけどねぇ。でも僕『(父と)違うボートレーサーもあるけん』って言ったんですよ。今考えると『みんなこんなんなんかなぁ?! いや、そうじゃないボートレーサーもいるはず』って自分の目で確かめたかったのかも」とその時の気持ちを確認するかのように、ゆっくりと穏やかに話してくれました。

 デビューしてすぐに原田富士男選手(49=福岡)に弟子入りし「レースに対する姿勢とか練習に対する取り組みとかを全部教えてもらって、本当に感謝しかありません。とにかく自由がなかったくらい死ぬほど乗った自信がありますし」と笑顔の川上選手。

 原田選手に尋ねると「あいつは俺が教えた中で一番っていうくらい下手くそやったんよ。でも『自分はやらないと駄目なんです』ってその情熱と熱いものは感じたから、人の2倍やれ! ってやり過ぎなくらいの指導をしたけどついてきたんよねぇ。それでどんどんレベルが上がっていったから『じゃぁ、もう大丈夫!』って思った」と、免許皆伝の理由を教えてくれました。

左から川上剛選手、原田富士男選手、田頭実選手のスリーショット
左から川上剛選手、原田富士男選手、田頭実選手のスリーショット

 こうして原田選手からバトンを受け取った川上選手。指導の順番はというと「絶対的に1にあいさつですね。もう絶対です。で、次もあいさつ。3、4がなくて5にあいさつというくらい、大きな声であいさつして、まずは顔を覚えてもらうことが一番。1600人が競い合う中で、それが結局、感謝だったりおわびだったりの気持ちを伝えることにつながるので。それができて次に人とのコミュニケーション。報連相の徹底で、ようやく3番目に技術的なこと“乗れ!”です。プロペラも毎日たたかせるし、練習も冠婚葬祭以外休むな! って、今の若い選手がやらないような苦手とすることもさせてますけど、プロがプロを育てるんだから厳しいのは当たり前。厳しくてもその子が稼げばいいと思うんです」。

 さらに「本人だけではなくその後ろに家族がいるし、人生を預かっているのと一緒。だからケガとかしたら自分がケガした方がいいって思うくらいへこみますよ」と選手のご家族にも思いを向けます。

 厳しくて、優しくて、優しいからこそ厳しくて…本気で向き合うその愛情が、お弟子さんたちにもちゃぁんと伝わって、素質が本物になっていくんですね。

 ボート=「人生」。育てる=「生き甲斐。活力にもなります」と答えてくれた川上選手。「育つから育てられるのかなぁ。後輩の成長も見れて自分も成長させてもらえるんでめちゃめちゃ面白いと思うんですよ。自分自身、20代のガツガツしてた時より、今はこうやって育てながら自分も育っていける、そういう立ち位置なのかなぁって思ってます」。

 ボートレーサーを目指した頃のお父様への反骨心は「今はもうありません」ときっぱり。「今はそれがすっ飛ぶくらい四六時中後輩たちと一緒で、忙しく目まぐるしくしてますから。正直むしろ(きっかけをもらって)やっててよかったなぁって思います。後輩たちにはただただ、この仕事を愛して欲しいですね」と話したその人柄は、涙が出るほど情が深くて温かで大きなボート愛でいっぱいでした。

 
 

 「家計を考えても、苦しかった時にサッカーやらせてもらったり…。母には感謝しています」。その言葉の通り、A1になってすぐお母様にお家をプレゼントした孝行息子。「受けた恩は倍にして返したい」という思いは、今はお母さまだけでなく周りの人にもボートにも温かく向けられていました。