原さんはチームの大黒柱にイチローを据えた。選手選考の初手に自分でイチローに連絡を入れ、イチローを核として編成を進めた。

 代表チームのメンバーを選ぶということは、とりもなおさず核となる主力選手を選択するということだ。その核となる選手の成績が良くても悪くても、自分の判断を信じ、その選手を信じ、命運を託す。そうした決意があったからこそ、韓国との決勝の終盤、まさに優勝を決めるクライマックスでイチローに打順が巡ってきたといえる。

 延長10回表、2死一、三塁。打席にはイチロー。韓国ベンチからすれば、この試合3安打のイチローとの勝負を避け、2死満塁を選択する可能性もあった。イチローと勝負をするのか、結果的に歩かせても構わない配球をしてくるのか、日本ベンチも韓国ベンチの思惑を測りかねていた。

 この状況下で原さんは決断する。カウント1-0から、一塁走者岩村を盗塁させる。韓国の一塁手がベースから大きく離れており、岩村は余裕をもってスタートが切れた。原さんは2死二、三塁として、韓国ベンチの出方をじっと見守った。

 原さん さあ、こっちはどっちでもいいぜ。そういう気持ちで、俺はじっと韓国ベンチがどうするか集中して見ていた。

 2死二、三塁ならば、イチローを歩かせやすい。日本ベンチとしては、韓国バッテリーがイチローと勝負してもいいし、次打者中島と勝負してもいい。どっちでもいいぞ、という明確な意思表示を、先に韓国ベンチに突きつけたことになる。

 事ここに至っては、原さんの視線はグラウンドと相手ベンチに全神経を集中させていた。それは、イチローとともに雌雄を決するという決意があったからだろう。凡打するとか、そんな心配は原さんに一切ない。イチローは打つ。そう信じ切ることができた。

 勝負の世界は非情だ。柱に据えた選手には必ずチャンスが訪れ、それをつかむか、逃すかでチームの勝利に直結する。ザックジャパンの14年ワールドカップ・ブラジル大会では本田圭佑がその重責を担ったが、惨敗で大会を終えた。10年南アフリカ大会では常に代表チームの中心にいた中村俊輔がスタメンから外れ、岡田監督はMF遠藤保仁を「チームの心臓」と呼び代表の核心を託した。遠藤はデンマーク戦で試合を決定づけるFKを決めるなど試合を操り、決勝トーナメント進出を果たしている。

 トップの中のトップが集結するのが代表チームであり、その中で勝敗に直結する役割を誰かが一身に背負わなければならない。その選手を支えとして控えを含めてチームが一体となった時に、集団の底知れぬパワーが発揮される。

 その核となるべき選手が誰になるのか、その選択から監督は逃れることはできない。

 原さん ゴルフでよく言うね。「キャディーバッグにドライバーは2本いらない」って。同じタイプの選手がいた時、どちらかを選択せず、両方を使い分けようとするケースもあるが、俺はそれはしない。判断しないと。俺はイチローを選んだんだ。

 誰よりもまず、監督こそがリスクを負って選手を選び、心から信じて使うことにある。その考え方、チームをつくる理念を原さんは貫き、その先にWBC連覇の大願を成就させた。

 西野ジャパンも選ばなければならない。30日の壮行試合でガーナと対戦する。緊急事態で生まれた西野ジャパンにとって、W杯メンバー発表前最初で最後の強化マッチとなる。しかし、それは何のエクスキューズにもならない。日本代表は、日本中のサッカー選手を代表してコロンビア、セネガル、ポーランドと堂々と渡り合わねばならない。

 さいは投げられた。ここからは待ったなしの取捨選択が始まる。チームの核となる選手を選び、チーム内の相性を考えて最強の11人を並べる。西野監督は、命運を託す選手を、西野監督の責任において選ぶ。

 原さんの勝負師としての熱い血が、無縁のサッカー日本代表の窮地に接して騒ぐ。あふれ出る言葉からはバイタリティーに満ちていた。

 原さん 日本サッカー協会は、チームが勝つために監督解任や、後任人事を決めたと受け止めている。全ては勝つためのことだと、そう信じている。そして、こうなった以上、こういう状況下では勝利というものが非常に重要になってくる。それは世界と戦う国際大会ではなおさらのことだ。こうした今だからこそ、俺は見たい。日本サッカーの魂を。【井上真】(つづく)

09年3月、WBC決勝韓国戦の10回、イチローは中前に適時打を放つ
09年3月、WBC決勝韓国戦の10回、イチローは中前に適時打を放つ