Jリーグの名門鹿島アントラーズが、8度目のACL挑戦で悲願のアジア王者になった。決勝第2戦で強豪ペルセポリス(イラン)に敵地で0-0で引き分けて2戦合計2-0とし、初優勝で20冠目を手にした。昨年の浦和に続いて日本勢が2連覇。無失点に抑えたDF昌子源(25)は夏に海外クラブからの巨額オファーを断った真相は「ACLを取ることが最大の目的だった」と明かした。鹿島は優勝賞金400万ドル(約4億4000万円)とクラブワールドカップ(W杯)(12月、UAE)の出場権を獲得した。

涙腺が緩んだのは“師匠”との抱擁だった。昌子は、大岩監督と抱き合った。「お前を(ゲーム)主将にして良かった」。この感謝の言葉に「(大岩)剛さんと(小笠原)満男さんと抱き合ったときが一番(グッと)来た」。記憶が、走馬灯のようによみがえった。

11年のプロ1年目。当時のセンターバック陣には中田、岩政、青木、伊野波と名だたる選手がいた。その中に高卒新人がぽつん。プロのレベルを知る。そのとき、一から指導を受けたのが、同じくコーチ1年目の大岩現監督だった。「コーチ陣も多くて、剛さんがほぼ『オレ専用』でした」。

厳しい言葉が飛ぶ。「そのステップは違うだろ」「もっと小股だ」。何度も繰り返した。「それが自分のプロとしての下地。W杯もそう。剛さんの教えをそのまま世界にぶつけた」。その守備が決勝でも映えた。

標高1000メートル超のアザディ競技場。空気抵抗が少なく伸びるボール。緩い土に長い芝生。10万人の大観衆によるブブゼラの音で、互いの声は全く聞こえない。隣の「(山本)脩斗くんを10回くらい呼んでも見向きもしない」。それでも声を張り続けた。「点は取れない」と覚悟し、体も張った。悪環境を最後まで耐え抜いた。

悲願のアジア制覇。「鹿島に残った最大の目的がこれやった」。W杯ロシア大会後、海外からオファーを受けた。熱心だったのはフランスの2チーム。提示額は日に日に上がり「5億」と報じられたが、実際はもっと上。「日本人最高額として今後、抜かれることがないと思われる」ほどの金額だった。

昌子は行きたかった。何度も鈴木満・常務取締役強化部長に直談判した。だが、全て断られた。「お前はお金じゃない。お前の代わりは見つからない」。この姿に、代理人に言われた。「この金額で無理だと断るのはすごい。鹿島以外なら100%売っている」。そうまで願われて、意気に感じない男ではなかった。何が何でもACLを取る-。それが残留の真相だった。

帰国2戦目のC大阪戦で左足首を負傷した。初期診断より重傷で、軟骨が浮いていた。医者からは今季の見送りも勧められた。だが、ACL決勝まで逆算してやってきた。階段の上り下りを避け、寝室の2階ではなく1階で就寝中。「子どもと離ればなれが寂しい」が、耐える理由があった。

表彰式。トロフィーを受け取ると、すぐに「ミツ」と叫んだ。みんなが一斉に嫌がる小笠原を捕まえ、掲げさせた。「鹿島の主将として満男さんにあげてほしかった。何やかんや一番うれしそうやった。やっぱり、あの人が一番似合う」。

大岩監督を男にし、小笠原に晴れ舞台をつくった。それが、昌子源だった。【今村健人】